倉橋惣三（1882-1955）という人物をご存じでしょうか？　日本が生んだ優れた幼児教育の先駆者であり、児童心理学者です。その倉橋惣三が、大正５年に幼児教育についてその著書に著したこと、それはすべて現在の幼児教育の基本に生きています。

　第一に「自発的」ということ。　現在の教育要領では「主体的」となっていますが、主体的とは「どうぞご自由に」ということではなく、場合によっては教師が「こんな素敵なこと、すごいことがあるよ」と提案したり、仕掛けたりすることが必要である。ただしその時に大事なのは、子どもが「自分が、自分で、自分から」と行動するように仕向けることが大切である。

　第二に、「相互的」ということ。　子どもが育つためには友だちが必要であるが、その友だちとは、ただの仲良しだけではなく、違う発想をする人、個性が違う人、苦手な人やライバルもいなければならない、時には三角関係のような複雑な人間関係もなければならない、色々な人がいる中で折り合いの付け方を徐々に学んでいくことが相互性である。

　第三に「総合的」「具体的」ということ。　感性の領域をつくって、感性そのものを育てようとすることは幼児教育にはなじまない。運動をしているときも、絵を描いているときも、音楽をしているときも、そこにはすべて感性がかかわっているのであるから、子どもの生活そのものが大切に育てられなければならない。

　第四に「情緒主義」ということ。　後に倉橋惣三は「心持ち」という言い方に変えましたが、この言葉が「感性」を主体とした幼児教育そのものを表しています。

　第五に、昭和６年に加えられた「環境的」ということ。直接こどもにあたえるのではなく、子どもがやりたくなるような、心を動かされるような環境を作らなければならない、といっています。

幼稚園教育は、学校教育法第２２条に「適当な環境を与えて、その心身の発達を助長する」と規定しています。この「環境による教育」とは、色々なコーナーを作って子どもが自由に遊べるようにするということだけではなく、子どもが課題をもって調べたくなるような、子どもが体を動かしたくなるような、子どもが取り組みたくなるような環境を用意するということなのです。

　１００年以上も前に、このような提言がされていたこと。そしていま、それがますます幼児教育にとって重要な教育の姿であることを再認識させられます。その倉橋惣三の考えの集大成ともいうべき著書である「育てる心」に、次のような１節があります。

　『子どもに与うる者は我らだ。子どもに与え得るものは我々の自分だ。教育者は取り次ぎ手、取り次ぎのうまい人になってはいけない。与えるに足りる自分を持つものでなければならない。少なくとも、あまりつまらない自分を与えてはすまない。秋静か。自分を養うのに一番いい時だ。子どものための教育に忙しいうちにも、自分のための教育が気になる季節だ。いっそう自分のための、自分を充実させるための本を読みたい時だ。この秋を、何によってあなたは自分を養わんとするのか』

　倉橋惣三がこの著書で述べているように、子どもがもっている感性を私たちは受け止めなければなりませんが、そのためには自分自身の感性も失うことがないように磨き続けることが、幼児教育に携わるすべての人々に求められているのです。