えんちょうのへや |
『教育の意味』 |
せいし通信 12月号 |
「醜いアヒルの子」は、生まれたときから毛色が違うことでほかの兄弟からいじめられて過ごします。動物の世界では、弱いものは排除されて強いものだけが生き残り、その種を存続させる権利を得ることができます。それは弱いものが生き残って、その種が弱体化することを防ごうとする自然の摂理なのです。動物は、その種の保存の為に子孫を残そうとします。子どものみを守り、食物を与え、狩や食物のとり方を教えて懸命に子育てをします。しかし、それは本能に導かれた、その種の保存のための行動であって、そこには愛情や教育という概念は存在しません。 新聞などのマスコミによく登場する、いじめや子どもの虐待の問題。動物でさえ、本能に導かれたものだとはいえ懸命に子育てをするのですが、人間という「哺乳類霊長目ヒト科」という種は、ほとんど種の飽和状態に達してしまっていて、種の存続や保存に関心が無くなってしまっているのでしょうか。 また人間は集団生活を営んでいますが、そこにその集団生活に適応できないもの、また乱すものを排斥しようとする動機が生じます。それが虐待やいじめの原因にもなるのです。しかし排斥しようとする行為は動物と同じレベルの行動ともいえます。 では、人間と動物では何が違うのか、また違いがなければならないのか。その違いこそが『教育』なのです。集団生活を営まなければならない上でのルールや、守るべきこと、協力すべきこと、育てるべきことが、教育として子どもに与えられなければなりません。教育は家庭教育に始まり、幼稚園を含んだ学校教育、そして社会教育と全てがリンクして相互関係が成立していなければなりません。現代は、この3つの関係、関連がバランスよく成立していないこと。そこに大きな問題があるのです。 いじめの問題を例にとれば、責任問題ばかりが追及されて(主に学校側の責任という結果となり、それにより教師を萎縮させてしまったり、子どもたちが伸びやかな学校生活が送れないようになってしまうケースもあるのではないでしょうか)、根底の原因について言及されることがありません。問題は、教育のスタートである家庭教育、親が子に伝えるべきことがきちんと伝わっていないこと。ここに最大の原因があるのです。 しかし、その親も子どもの時代に親から受け継いだもの、そして教育がなされていなければ、家庭教育の親から子への連鎖は途絶えてしまっているので、為す術がありません。この切れてしまった鎖をつなぐことを私たちは考えなければならないのです。現代の教育のあり方は、病気になってしまったので薬を投与するという、いわゆる対症療法のようなもので、病気にならない身体を作り上げようとする努力がされておらず、体制も整っていないような気がします。本来の教育の姿とは、親から子へと受け継がれていって、よりよいものへと昇華していく、家庭教育⇒学校教育⇒社会教育⇒(家庭教育)という大きな連鎖を作り上げること、これに尽きると思います。 「醜いアヒルの子」は、虐げられた生活の末に、最後には美しい白鳥になって大空に飛び立っていきますが、私たち人間の世界では「醜いアヒルの子」を出さないことが求められます。そしてそれを解決できるのが、私たち人間だけがもつ教育という機能なのです。 |
園長 遠山 和良 |
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