えんちょうのへや | ||
『時間』 | ||
せいし通信 3月号 | ||
先月号で「二十四節気」についての話を書きました。その中に『太陰太陽暦』、いわゆる旧暦の記述がありました。この旧暦は、約29.5日で満ち欠けする月の動きに合わせて1ヶ月の長さを29日と30日に決めますが、その誤差を調整するために、約3年に一度閏月として1年を13ヶ月としています。そして日のあるうちが昼で、暮れれば夜。その昼夜を6等分して一刻(いっとき)として時間を計るのが不定時法です。ですから夏至と冬至の頃の昼や夜の一刻は、ほぼ倍近く長かったり短かったりと、季節によって昼と夜の時間が伸び縮みしていたのです。一見不合理に思えるのですが、電気もない江戸時代までは、「油一升米三升」といわれるほど、行灯などに使う油の値段は高かったので、否応なしに早寝早起きが庶民の暮らしだったのです。 江戸時代には、時刻や方位には十二支が当てはめられていて、子(ね)の方角が北になって右回りに十二支をあてはめていくと時間と方角が十二等分されます。北の子(ね)の刻は、現在の午後11時〜午前1時頃。東の卯(う)の刻は、午前5時〜7時頃。南の午(うま)の刻は、午前11時〜午後1時頃。西の酉(とり)の刻は、午後5時〜7時頃を指します。さらに一刻(いっとき)を4等分して細かくあらわし、たとえば『草木も眠る丑三つ時(うしみつどき)‥‥』は、丑の刻を4等分した3番目の頃合の時刻(現在の2時30分頃)ということになります。 不定時法では、この十二支にくわえて数字も使われています。子(ね)の刻と午(うま)の刻に太鼓を九ツ打つようになったことに由来して、同じく右回りに八ツ、七ツ、六ツ、五ツ、四ツと数えます。日の出前に星が見えなくなる卯(う)の刻は「明け六ツ」、日が暮れて星が見え出す酉(とり)の刻が「暮れ六ツ」です。 このように「太陰太陽暦」、そして不定時法は、現在の「太陽暦」、そして1日を24時間とする定時法に慣れている私たちにとっては、理解しにくいもののように思われますが、江戸時代までの「日が昇れば一日が始まり、暮れれば一日が終わる」という生活は、日が昇れば目が覚め、日が落ちて暗くなると眠くなるという人間の体内時計と合致しているのではないかとも思えます。いま小学校では「早寝、早起き、朝ごはん」という言葉が盛んに使われていますが、生体のリズムを整え、体内時計にあわせて生活をすれば、心にも体にも良い影響が現れるのは当然です。少なくとも子どもたちの身体の成長期の間は、江戸時代とはいわなくとも、これに近い生活を送ることが必要です。 「ときそば」という有名な落語。「親父、いくらだい?」「ヘイ、十二文で」。その男は蕎麦の代金を「一、二、三、……」と八まで数えて「いま何時だい?」と蕎麦屋の親父に時刻を尋ね「ヘイ、九ツで」。この返答に続けて「十、十一、……」と数えて一文をごまかしてしまう。これを見ていた与太郎が次の日これを真似するが「ヘイ、四ツで」と答えられて、また「五、六、七、八」と繰り返して、結局四文多く支払う羽目になったという落語です。九ツは真夜中で四ツはそれよりも一刻(いっとき)=約2時間くらい前の時間。いそいそと出かけてゆき、九ツまで待てなかったドジな与太郎の話です。 |
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園長 遠山 和良 | ||
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