せいし 幼稚園
 
 えんちょうのへや
 
 
子どもたちは いま ・ ・ ・
 
 『子どもを育てる
せいし通信 9月号

 早いもので、私がこのせいし幼稚園に奉職して32年になりました。この間もちろん世の中は様々な移り変わりはあったのですが、子どもたちを取り巻く環境の中で、現代ほど子どもたちの生活が蔑ろにされようとしている時代はないように思います。

 昨年の12月号の巻頭言でも『幼稚園が無くなる?』というテーマで書きましたが、政府の「子ども・子育て新システム検討会議」が導入しようとしている幼稚園と保育所を一体化した『子ども園』構想。これは一面的には、都市部を中心に待機児童が出ている保育所に対して、定員割れが多い幼稚園に保育所機能を持たせて、待機児童の解消を図ろう、また一般企業にも、幼児教育や保育所経営に参加できるようにしよう、その経営のためには施設の基準を緩めて、基準面積以下の保育室でも認可の対象にしようとする、安易といえばあまりにも安易な構想です。

 制度面や運用面でも大きく異なる幼稚園と保育所が準備期間もなく一体化され、子どもたちにとって、家庭以外の場所に長時間預けられる状況が何をもたらすのか、また幼児教育、保育の場に企業が参入すれば、当然大規模経営の事業が展開され、それによって必然的に質の低い保育が行なわれる可能性、子どもが犠牲になってしまうのではないか、という視点が欠落しているのです。

 経済界や女権論者が提唱する男女共同参画推進論の中では、子どもにとってそれが利益になるのか、という議論は見えてきません。100年以上にわたる日本の幼児教育の歴史の中で築かれ発展し、学校教育法に定められた幼稚園を廃止しても「労働人口の確保」の問題が優先されようとしています。大規模経営を展開しようとする企業は、待機児童の解消をお題目に、子どもに我慢を強いる環境によって利潤を追求し、そのことによって経済の活性化や女性の職場が開放されることなどを謳っていますが、子どもの存在が無視された議論であるといわざるを得ません。こうした議論は「人を大切にする、大切に育てる」こととはかけ離れた一時的な対症療法であり、日本の次世代を担う子どもたちの将来を見据えたものであるとは到底思えないのです。

 私の幼児期から学童期の昭和20年代後半から30年代にかけては、まだ戦後の影響が残る時代でした。戦後のベビーブームの只中で、子どもはそれこそ芋の子を洗うように溢れていました。教室が足りなくて体育館で授業があったり、午前と午後に別れて授業がある学校もありました。日本の国全体も豊かではなく、小学校の給食もまだスタートしていませんでした。子どもたちはいつもおなかをすかせていました。それでも子どもたちには笑顔が溢れていました。それは物は決して豊ではなかったけれども、国が社会が家庭が一生懸命に子どもたちを育てようとしていたからだと思うのです。

 「子どもを育てる」ということは、国家、社会、家庭が一体となって育てるべきものだと思います。それがいま、それぞれの立場や利益を理由に、子どもたちの育つ環境が蔑ろにされようとしているのです。

 園長   遠山 和良
 
 
 
戻る

学校法人 聖使学園
〒830-0023 福岡県久留米市中央町30-5
TEL:0942-32-4971 FAX:0942-32-7678