せいし 幼稚園
 
 
子どもたちは いま ・ ・ ・
 
 『子どもの遊びと知的教育
せいし通信 6月号

 6月、身体に感じる大気の中にも、近づいてくる梅雨の予感があります。5月は年長組、年中組の子どもたちと、鳥栖の朝日山にピクニックに出かけました。朝日山の新緑と、山歩きの道中の真っ赤な草イチゴの鮮やかなコントラスト。薄緑に染まったようなすがすがしい空気と、草いちごの甘い香りのハーモニー。春から夏に移ろいゆく季節と、その自然の恵みを子どもたちも全身に受け止めていたようです。草いちごの赤い実を、お母さんに持って帰る、と小さな手に大切に包んでいた子どものお土産は、無事に家まで届いたのでしょうか。

 最近の子どもたちは、教育と称して小さい頃から課題を与えられ、その解決を求められます。それに疲れ果てて、考えること自体が苦痛になり、すでに小学校段階で新しいことを考えることを放棄してしまう子どもがいるほどです。誤った知的教育が、子どもが本来持っている知的潜在能力をつぶしてしまっているのです。

 知的教育とは、子どもたちが本来もっている考える力を信頼し、育てることだと思います。子どもたちが自分なりに考えたことを大切にし、子どもの考えや思いを共有しながら育てること。その過程で考えることが楽しくなる。さらにその楽しさを個人的なものだけではなく、社会的な楽しさにする。この一連の活動こそが幼児期の知的活動です。そして、このような活動は遊びの中でこそ実現できるのです。

 幼稚園では、集団的な遊びが生活の中心になりますが、それと同時に一人で遊べること、つまり一人遊びができる、自分で遊びを創造することも重要です。一人で泥だんご作りに、あくなき執念を燃やして作っている子どもの、その泥だんごには、確かに一個目よりも二個目、昨日よりも今日の泥だんごのほうが進化が見られます。子どもは皆、試行錯誤をしながらも、良いものへと向かう能力を持っているのです。

 発達心理学者のピアジェは、幼児期の子どもの活動には、知性の芽生えといえる活動が、多分に含まれることを明らかにしています。この子どもたちの繰り返し作られる泥だんごにも、材料を変え、水の含ませ具合を考えるなど、一種の能動的な実験を行なう姿が見られます。子どもたちは特別に意識してやっているというわけではありませんが、自分で課題を作り、その結果を知るために、何度も繰り返し泥だんごを作ります。実はこの泥だんごを作るという行為こそが知的活動といえるものであり、自発的な遊びとして、能動的に楽しみながら行なっている姿なのです。子どもたちがもっている考える力を生かし、それを育てるという知的教育の本来の姿が、この子どもたちの遊びの中に隠されているのです。

 『遊び』と『知的教育』というと、相反することのように思われがちですが、子どもたちの遊びの中にこそ、知的創造力の芽生えがあり、それを認め育てることが知的教育に他ならないのです。

 園長   遠山 和良
 
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