えんちょうのへや |
『無知の知』 |
せいし通信 3月号 |
とにかく子どもはうるさく知りたがる、知識欲の権化のような存在です。 先日も、事務室にいると外で遊んでいた男の子が2〜3人走りこんできて「とおやまたいちょう、これ何の虫? ひょっとしたらカブトムシの幼虫? それともクワガタ?」確かに幼虫時代のカブトもクワガタも、その他の甲虫類は、みんな似たり寄ったりの姿をしています。「どこにいたの?」「砂場の砂の中だよ」「じゃあね、カブトやクワガタの幼虫は、枯れた木や枯れ葉がいっぱいあるところにしかいないし、その幼虫は小さいからコガネムシの仲間の幼虫だよ」「ふ〜ん」とちょっと残念そうな様子。 またある日は「とおやまたいちょう、これ何のお花?」と幼稚園に来る途中に咲いていたらしい、小さな野花を見せにやってきます。 妻が悪妻だった(何をもって悪妻とするのかは別として)という話は有名ですが、紀元前400年ほど前にギリシャにソクラテスという哲学者がいました。ソクラテスは「国家の信じない神々を導入し、青少年を堕落に導いた」として告発され、裁判で死刑を宣告されています。著作を残さなかったソクラテスですが、その弟子のプラトンによるソクラテスの裁判の様子を記録した「ソクラテスの弁明」の中に、ソクラテスの「無知の知」ということばが残されています。その意味は『自分自身が無知であることを知っている人間は、自分自身が無知であることを知らない人間より賢い』『真の知への探求は、まず自分が無知であることを知ることから始まる』という意味です。 もちろん子どもたちが知りたがるのは、興味の対象である言葉や物や事象を自分で理解したい、また解決したいからであって、ソクラテスの『無知の知』を実践しているというわけではありません。しかし子どもたちは、こうして蓄えていった知識や体験をもとに新たな解決法や行動を模索して、それをまた新たな知識や経験として積み重ね蓄えていくことを繰り返しながら成長しているのです。幼稚園の教育は、端的にいえば実はこの子どもたちの「知りたがり」の特質を生かした教育を実践すれば良いのです。子どもたちの「なぜ?」「どうして?」という興味を喚起し、それを解決しようと考えたり行動する場面や場所を設定して、教師は子どもたちに寄り添い、子どもたちの思いを共有し、子どもたちの行動に共感してやることで子どもたちは成長していくのです。 しかし、子どもたちの「知りたがり」は、実は知らないからこそ知りたいわけで、まさにソクラテスの言葉の実践者でもあるのです。私たちは、自分の考えや行動や生活に影響がなければ、知らないことに対して知ろうと努力することはまずありません。むしろ世間体や見栄などが先に立って、自分の知らないことに対して拒絶したり、知っているふりをして、その場をやり過ごす事も多いのではないでしょうか。 幼稚園教育には教科書がありません。幼稚園では教師自体が教科書なのです。子どもたちの「知りたがり」の欲求にいつも応えられる教師こそが、幼稚園の教師に要求される資質の一つです。そして私たちも、子どもたちのこの「知りたがり」の欲求を大人になってもいつまでも持ち続けていたいものです。 「自分には分からないことがある」と知っているから向上心が生まれ、「自分には理解できないことがある」と知っているから、そこには謙虚な心が生まれるのです。
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園長 遠山 和良 |
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