たいちょうのへや |
『ジョン万次郎』 |
せいし通信 9月号 |
万次郎は14歳の時、土佐高知で漁師見習いとして出漁中に嵐と遭遇、船は漂流して無人島(現在の鳥島)にたどり着きました。そこで6ヵ月に渡り万次郎を含む5名は苦しいサバイバル生活を送ります。その後奇跡的にアメリカの捕鯨船、ジョンホーランド号のホットフィールド船長により救出されました。船はハワイに寄港後、万次郎は捕鯨船に船員として乗り組み、またホットフィールド船長に誘われてアメリカへ渡ります。万次郎16歳の時でした。万次郎は、マサチュセッツ、フェアヘブンの船長の家で過ごしながら、小中学校で学び、続いて海洋専門学校であるバーレット・アカデミーに進学して3年間にわたり、英語、数学、測量学、天文学や航海術、また国際法などの専門教育を受け、優秀な成績で卒業しています。当時アメリカで高等教育を受けた日本人は万次郎が初めてでした。 そして23歳になった万次郎は日本への帰国を決意します。当時、鎖国政策をとる日本への帰国は死罪に問われる可能性が大きかったのですが、万次郎は、まず琉球王府下の琉球(現座の沖縄)に上陸します。薩摩藩の支配下にあった琉球から薩摩に送られた万次郎は、薩摩藩主、島津斉彬によって罪人ではなく、アメリカの事情を知る者として優遇されました。その後長崎に送られて9か月にわたる取り調べを受けたのち、無罪放免となって故郷の土佐に帰り着いています。 幕末の激動の時代、万次郎は時の幕府の老中、阿部正弘に召喚されてアメリカの事情や情報などを進言し、ペリーの浦賀への来航、そしてその後交わされる日米和親条約締結に寄与しました。また1860年には、幕府の通訳教授として、日米修好通商条約の批准書交換のため派遣された、遣米使節団の一員として「咸臨丸」に乗り込み、日本で初めての太平洋横断を成し遂げました。1867年の明治維新後は、1869年、万次郎42歳の時に、後の東京大学となる開成学校の教授に任命されています。 現在、日本の大学生、大学院生の外国への留学数が激減しているそうです。社会、経済のグローバル化が急速に進み、その変化に対応できる人材が求められています。京都大学では平成24年に、若年人材海外派遣事業「ジョン万プログラム」がスタートしました。成果が期待されます。 万次郎の活躍には、万次郎が幼少期に得た「感動する心」や「好奇心」、そして行動する実行力など、これらを大人になっても持ち続けていたことにありました。子どもたちの、この幼少期に得られる感性や好奇心を大切に育てていきたいものです。 |
理事長 遠山 和良 |
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