刑法ⅡB 補助プリント(No. 5) 窃盗罪①
235条 他人の財物を窃取した者は,窃盗の罪とし,10年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。
1.実行行為
窃盗罪の実行行為は財物の窃取である。窃取とは,財物の占有者の意思に反した形態で行われる占有の移転のことである。占有の移転が,反抗を抑圧するに足る暴行・脅迫によるときには,窃盗(窃取)ではなく強盗(強取)になる。ちなみに,占有者の意思に基づく移転があれば,詐欺(詐取)もしくは恐喝(喝取)といった交付罪が問題になる。
2.占有
(1)刑法における占有
刑法における占有は財物に対する事実上の支配をいう。典型的な形態は「所持」だが,現実的な握持に限定されるわけではない。具体的な占有の有無は主観的要件(占有の意思)と客観的要件(占有の事実)を総合して判断され,判例では,「社会通念」によって判断するとしたものが多い。最近の判例としては,最決平成16・8・25刑集58・6・515がある(【テキスト62頁】を参照)。なお,下記【事例1~3】は,占有が問題となったケースである。
【事例1】最判昭和32・11・8刑集11・12・3061
<判旨>「……ところで原判決が本件第一審判決挙示の証拠によって説示したような具体的状況(本件写真機は当日昇仙峡行のバスに乗るため行列していた被害者がバスを待つ間に身辺の左約30糎の判示個所に置いたものであって,同人は行列の移動に連れて改札口の方に進んだが,改札口の手前約2間(3.66米)の所に来たとき,写真機を置き忘れたことに気がつき直ちに引き返したところ,既にその場から持ち去られていたものであり,行列が動き始めてからその場所に引き返すまでの時間は約5分に過ぎないもので,且つ写真機を置いた場所と被害者が引き返した点との距離は約19.58米に過ぎないと認められる)を客観的に考察すれば,原判決が右写真機はなお被害者の実力的支配のうちにあったもので,未だ同人の占有を離脱したものとは認められないと判断したことは正当である。……」
【事例2】最判昭和32・7・16刑集11・7・1829
<判旨>「(……養い馴らされた犬が,時に所有者の事実上の支配を及ぼし得べき地域外に出遊することがあっても,その習性として飼育者の許に帰来するのを常としているものは,特段の事情の生じないかぎり,直ちに飼育者の所持を離れたものであると認めることはできない。)……」
【事例3】最決昭和62・4・10刑集41・3・221
<判旨>「なお,原判決の認定によれば,被告人らが本件各ゴルフ場内にある人工池の底から領得したゴルフボールは,いずれも,ゴルファーが誤って同所に打ち込み放置したいわゆるロストボールであるが,ゴルフ場側においては,早晩その回収,再利用を予定していたというのである。右事実関係のもとにおいては,本件ゴルフボールは,無主物先占によるか権利の承継的な取得によるかは別として,いずれにせよゴルフ場側の所有に帰していたのであって無主物ではなく,かつ,ゴルフ場の管理者においてこれを占有していたものというべきであるから,これが窃盗罪の客体になるとした原判断は,正当である。」
(2)占有の帰属が争われた事例
① 共同占有のケース
【事例4】最判昭和25・6・6刑集4・6・928
<判旨>「共同占有の場合,共同占有者の占有を奪って自己単独の占有に移す行為は窃盗を以て目すべきこと大審院以来判例の認める処で其解釈は正当である。……」
② 支配関係があるケース
【事例5】最判昭和31・1・19刑集10・1・67
<判旨>「……本件のように被告人が旅館に宿泊し,普通に旅館が旅客に提供するその所有の丹前,浴衣を着,帯をしめ,下駄をはいたままの状態で外出しても,その丹前等の所持は所有者である旅館に存するものと解するを相当とするから,原判決には刑訴411条1,2号の法令違反,事実誤認も認められない。……」
③ 封緘物
【事例6】東京地判昭和41・11・25判タ200・177
<判旨>「被告人が前記A方において,自己の用途に充てるため,本件書留郵便物をBに交付せず自己のズボンポケットに入れたことにより,業務上横領罪が成立し(以後の隠匿,開披等の行為は,いわゆる事後行為にあたる。),窃盗罪を構成するものではない。」
④ 公法上の管理権限と占有
【事例7】最判昭32・10・15刑集11・10・2597
<判旨>「河川法の適用または準用ある河川は,地方行政庁が河川法6条,5条,河川法準用令等によってこれを管理するのであるが,……地方行政庁の河川管理は,おのずから河川敷地内に堆積している砂利,砂,栗石(以下単に砂利等という)にも及ぶことは当然であるが,……地方行政庁が河川を管理するという一事によって,河川敷地内に存し移動の可能性ある砂利等を当然に管理占有することによるものではない。」
⑤ 死者の占有
【事例8】最判昭41・4・8刑集20・4・207
〈判旨〉「被告人は,当初から財物を領得する意思は有していなかったが,野外において,人を殺害した後,領得の意思を生じ,右犯行直後,その現場において,被害者が身につけていた時計を奪取したのであって,このような場合には,被害者が生前有していた財物の所持はその死亡直後においてもなお継続して保護するのが法の目的にかなうものというべきである。そうすると,被害者からその財物の占有を離脱させた自己の行為を利用して右財物を奪取した一連の被告人の行為は,これを全体的に考察して,他人の財物に対する所持を侵害したものというべきであるから,右奪取行為は,占有離脱物横領罪ではなく,窃盗罪を構成するものと解するのが相当である。」
【事例9】東京地判昭和37・12・3判時323・33
<判旨>「……自己の責任において人を死亡させた者が,死亡直後,死者の懐中から財物を奪取した行為に対し窃盗罪の成立を認めた判例が存在することは検察官の指摘するとおりである(昭和16年11月11日、大審院第四刑事部判決参照)。そして人の死亡により原則としてその者の占有を離脱するものではあるが,刑法上財物に対する占有の有無を論ずるに当っては,ただ右の一事のみを捉えて画一的に決定することは適当でなく,その際における具体的事情例えば、財物奪取者の被害者の死亡に対する責任の有無,財物奪取と死亡との時間的接着並びに機会の同一性の有無等の諸点を考慮のうえ財物の占有を保護する刑法の理念に鑑み,なお死者において財物を占有しているものとの評価を与えることが相当な場合も存在する。しかし,これには当然一定の限度が存在することはいうまでもなく,たとえ財物奪取者が被害者の死亡に対し責任を有する場合であっても,死亡後すでに相当の時間を経過し,または死亡と全く別個の機会に財物を奪取したようなときには,最早死者の占有を犯したとはいい得ないものと解する。」
【事例10】東京高判昭和39・6・8高刑集17・5・446
<判旨>「……人の財物に対する所持の保護は,もとよりその人の死亡により原則的には,これを終結すべきものであるけれどもその生存から死亡への推移する過程を単純に外形的にのみ観察し,あらゆる特殊的な事情に眼を覆って,これを一律に決定するようなことは,法律評価上これを慎まなければならない。本件において,被告人は,T子を殺害し,みずからT子の死を客観的に惹起したのみならず,さらに,その事実を主観的に認識していたのであるから,刑法第254条の占有離脱物横領罪とは,その法律上の評価を異にし,かつ,被告人の奪取した本件財物は,T子が生前起居していた前記家屋の部屋に,同女の占有をあらわす状態のままにおかれていて,被告人以外の者が外部的にみて,一般的に同女の占有にあるものとみられる状況の下にあったのであるから,社会通念にてらし,被害者たるT子が生前所持した財物は,その死亡後と奪取との間に4日の時間的経過があるにしてもなお,継続して所持しているものと解し,これを保護することが,法の目的にかなうものといわなければならない。」