刑法ⅡB 補助プリント(No. 3) 財産犯の法益
刑法による財産保護の意味―本権説と占有説
1.近代的所有権と財産犯
財産犯の保護法益が私有財産であることは疑いない。財産犯の保護法益を巡って古くから争われてきた本権説と占有説の対立は,近代的所有権思想を背景とし,「本権」すなわち「所有権その他の正当な権益」をまもるべきなのか,それとも「占有」すなわち「観念的な権利関係を捨象した所持状態そのもの」をまもるべきなのかという形で展開され,財産犯の根幹的争点となった。特に,「自己の財物であっても,他人が占有し,又は公務所の命令により他人が看取するものであるときは,……他人の財物とみなす」と規定する刑法242条の解釈をめぐって,鋭い対立が展開されている。
2.本権説
ここで両説の対立の構図を検討しよう。まず,本権説は,本権,すなわち「所有権その他の正当な権益」を財産犯の保護法益とし,したがって,占有を正当化する民法上の本権の裏付けがある財産,それのみが保護されるべきだとする。これは,近代的所有権思想をそのまま刑法解釈に反映させたものであり,財産に対する権利内容を決めるのが民法である以上,刑法はそれに従属すべきだとする「従属説」に立つ。また,刑法242条は,本権説を前提とした例外規定であり,そこにいう「他人の占有」は権原(法律上の原因)に基づく適法な占有(具体的には、所有者自身が他人の占有に同意していたり,公務所の命により他人が看取していたりする場合)に限られると解する。さらに,本権説では,たとえば盗品の占有は権原に基づく適法な占有といえないから,本来の所有者がそれを回復する行為は,「他人の財物」の盗取にあたらず,自力回復が原則的に肯定される。
3.占有説
これに対して,占有説(所持説)は,「占有」すなわち「現に持っている状態」を保護法益とする。民法上の権利関係はひとまず捨象して,人の財物に対する事実上の支配(所持)を保護する点で,民法に対する刑法の独自性を承認する「独立説」に立つ。所有関係が複雑化し,所有と占有の分離(たとえば賃貸借)が著しい現代社会では,まず占有それ自体が保護されねばならないからである。この立場からは,刑法242条は,当然の注意規定にすぎず,その「占有」は,特段の権原のない所持そのものでよい。さらに,そこからの当然の帰結として,盗品であっても,ともかくもそれを他人が占有している以上は,「他人の財物」であり,したがって,本来の所有者による自力救済の場合でも,正当行為としての違法阻却の可能性を論じうるだけである。
4.判例の動向
判例は,もともと本権説に立っていたが,第2次大戦後の復興期に頻発した盗品や禁制品の争奪の混乱状況への対応を契機に【事例1】,急速に占有説に接近した。【事例2】では,貸金の譲渡担保として破産した会社所有の自動車の所有権を取得した被告が,破産管財人のもとで,同社が引き続き使用していた自動車をこっそり運び去ったという事案について,窃盗の成立を認めた。【事例3】は平成元年の類似事案であるが,占有説の完全な定着を示すものである。原審判決は,被害者の占有が法律による保護に値するものであったがゆえに窃盗が成立するという点で,本権説的な論理を残しているが,最高裁は明白に占有説の論理のみで有罪を認めている。
【事例1】最判昭24・2・8刑集3・2・83
<判旨>「本件において被害者Aの持っていた錦糸は盗品であるから,Aがそれについて正当な権利を有しないことは明らかである。しかし正当の権利を有しない者の所持であっても,その所持は所持として法律上の保護を受けるのであって,例えば窃取した物だからそれを強取しても処罰に値しないとはいえないのである。恐喝罪についても同様であって,贓物(盗品のこと)を所持する者に恐喝の手段を用いてその贓物を交付させた場合にはやはり恐喝罪となるのである。従って原判決が本件を恐喝罪として問擬したのは正当であって,論旨は理由がない。」
【事例2】最判昭35・4・26刑集14・6・748
<事実>被告人が,自己のA社に対する貸金の譲渡担保として同社所有の自動車の所有権を取得したところ,A社の会社更生手続開始決定後,破産管財人が占有していた本件自動車を運び去ったことにつき,原判決(高松高裁)が窃盗罪の成立を認定した第1審判決を維持したため、被告人が上告した事案。
<判旨>「所論は,不法占有は窃盗から保護されるべき法益となりえないことを主張するが当裁判所においては,すでに、⑴『正当の権利を有しない者の所持であっても,その所持は所持として法律上の保護を受けるのであるから,盗贓物を所持する者に対し恐喝の手段を用いてその贓物を交付させた場合には恐喝罪となる。』との趣旨の判決(上記【事例1】),⑵『元軍用アルコールがかりにいわゆる隠匿物資であるため私人の所持を禁じられているものであるとしても,それがため詐欺罪の目的となりえないものではない。刑法における財物取得の規定は人の財物に対する事実上の所持を保護せんとするものであって,これを所持する者が法律上正当にこれを所持する権限を有するかどうかを問わず,たとい刑法上その所持を禁ぜられている場合でも現実にこれを所持している事実がある以上,所持という事実上の状態それ自体が独立の法益とせられみだりに不正の手段によってこれを侵すことを許さぬとする趣旨である。』との旨の判決(最判昭24年2月15日),⑶『他人に対し恐喝の手段を用いてその者が不法に所持する連合国占領軍物資を交付させたときは,恐喝罪が成立する。』との趣旨の判決(最判昭25年4月11日),また⑷『法令上公傷年金証書(これは刑法にいわゆる財物に該当する)を借受金の担保として差入れたことが無効であるとしても,これを受け取った者の右証書の事実上の所持そのものは保護されなければならないから,欺罔手段を用いて右証書を交付させた行為は刑法242条にいわゆる『他人ノ財物ト看做』された自己の財物を騙取した詐欺罪に該当する。』との趣旨の判決(最判昭34年8月28日)があり,この判決により大正7年9月25日大審院判決(刑録24輯1219頁)は変更されたものであること明らかであり,他人の事実上の支配内にある本件自動車を無断で運び去った被告人の所為を窃盗罪に当たるとした原判決の判断は相当である。」
【事例3】最判平元7・7刑集43巻7号(テキスト66-69頁を参照)
<事実> 貸金業を営む被告人Xがいわゆる自動車金融として,Aが融資価格で自動車をXに売却して,その所有権をXに移転し,買戻期日までに融資金額と利息を支払って買戻さない限り,Xが自動車を任意に処分できる旨の約款を付して融資し,Xは,買戻権の失われる返済期限の当日未明に,密かに作成したスペアキーを用い,Aに断ることなく,自動車計31台を引き揚げた。当該買戻約款付き売買契約の有効性や借主の買戻権の喪失の成否が争われたが,原判決は,これら2点につき疑問を呈した上で「担保提供者の占有はいまだ法律上の保護に値する利益を有していた」として,窃盗罪の成立を認めた。
<判旨> 上告棄却。「被告人が自動車を引き揚げた時点においては,自動車は借主の事実上の支配下にあったことが明らかであるから,かりに被告人にその所有権があったとしても,被告人の引揚行為は,刑法242条にいう他人の占有に属する物を窃取したものとして窃盗罪を構成するというべきであり,かつ,その行為は,社会通念上借主に受認を求める限度を超えた違法なものというほかはない」
5.刑法における財産保護の意味
もともと本権説・占有説の争いは,旧派・新派の争いと重なりあっていた。占有者の権利内容に立ち入って検討して客観的権利侵害の有無を論じようとする客観主義的手法が本権説に,客観的侵害をなるべく広範に捉え,行為者の内心や人格の悪性に実質的判断基準を移そうとする主観主義的手法が,占有説に結びついていたのである。そして,戦後刑法学ではこの構図は,結果反価値論・行為反価値論の対立に引き継がれた。戦後判例が旧派的傾向を維持しつつも占有説に移行した理由は,【事例3】のように,「行為が,社会通念上,受認しうる限度を超えた違法なもの」かという行為反価値に犯罪成否の実質的な鍵を移したからである。その意味では,本権説の論者が指摘するように,占有説は、財産的侵害の有無の問題を手段の相当性の問題にすりかえてしまう傾向を伴っており,警戒が必要だろう。他方,近代所有権思想をストレートに刑法理論に導入する本権説の観念的な法益論に対して占有説が率直に呈した疑問にも,無視しえない一面がある。近代刑法理論史では,占有説は本権説に対抗する形で出現し,しばしば現代社会の特殊性を論拠として展開されるため,いかにも新しい理論のように見えるが,本権説の背景にある近代的所有権思想が特殊な近代思想の産物であり,財産犯の処罰の歴史自体は古代から連綿と続いてきたことを考えると,むしろ,刑法による財産保護の原点は,生の「所持」の保護にあったといえるだろう。その意味では,刑罰威嚇までを伴う財産保護の究極的な正当化根拠は,交換価値をベースにする近代所有権思想の論理(本権説)よりも,使用価値を中心とした,財物の持つ実存にとっての切実さの保護にあると考えるべきである。