第2回目

刑法ⅡB 補助プリント(No. 2) 財産犯の客体

1.財物
(1)有体物説と管理可能性説
まず,財物罪の対象となる「財物」の意義について,有体物説・管理可能性説の対立がある。前者は,財物とは,「有体物」すなわち<固体・液体・気体>などの有形的存在に限られるとするが,後者は,無形的財であっても管理可能であれば財物といえるとする。大審院判決は,管理可能性を根拠に,電気を財物(所有物)としたが,管理可能性だけを基準としたのでは,財物罪(1項犯罪)と利益罪(2項犯罪)の区別がつかなくなる。また,管理可能性説を称しながらも,事実上,有体物に電気・熱エネルギーなどを追加するだけの説もあり,管理可能性説そのものが放散している。なお,電気窃盗の問題自体は「この章の罪については,電気は、財物とみなす」という刑法245(251)条により立法的に解決されているが,これをもって,有体物説を前提とした例外規定とみるか,管理可能性説を前提とした注意規定とみるかは依然として争われている。
現代社会において,エネルギーが財産性を持ち,したがって,その窃取が財産侵害性を持ちうることは疑いない。だが,ここで問題となっているのは罪刑法定原理であり,「財物」という文言と,電気・熱といった個別的エネルギーの対応の問題である。どれほど保護の必要性を力説しても,エネルギー侵害を「財物侵害」として処罰することの正当化根拠にはならない。社会の急速な発展によって新たに出現した(したがって一般的にはまだ侵害性の実感を伴わない)価値侵害形態を犯罪として宣言することで,文言による自由保障を果たす近代的罪刑法定原理の意義を考えれば,状況変化の激しい財産犯領域は,最も慎重な解釈を要する分野である。そして,「熱」や「電気」と「財物」という語感との乖離,あるいは「この章では…とみなす」という表現を素直に受け止めれば,有体物説が妥当だろう。管理可能性説が通説だと説明されることもあるが,明治時代の電気以降は,判例も,新たな管理可能財を「財物」とすることはなく,情報窃盗の問題にも,フロッピーディスクなどの情報媒体の窃盗を認めるにとどめ,情報そのものについては立法に委ねてきた。管理可能性説は,定着した健全な対応を一気に無にしかねないだろう。
(2)その他の財物性の要件
財物は,「財」すなわち価値のあるものでなければならない。価値の内容は,個人の自己実現にとって切実なものであれば足り,資本主義的な金銭価値ないし交換価値に限定されない。従って,他者にとっては何の価値もない信仰の対象や,個人の主観的・感情的価値しかない想い出の品,他人の手に渡らないよう保管しておくといった消極的価値(保管価値)しかないものでも,占有者にとっての切実性が,万人の共感を得られるものであれば財物性を認めてよい。反面,価値が軽微で切実性のほとんどないものは,財物性を否定するべきだろう。下級審では,このような観点から,たとえばたった1枚のメモ用紙(大阪高判昭43・3・4下刑集10巻3号225頁),ちり紙13枚(東京高判昭45・4・6判タ255号235頁)などについて財物性を否定したものがある。
また,財物は,本質的に所有権の対象たりうるものでなければならない。したがって,人体やその一部は,所有権の対象となりえないので財物ではない。しかし,人体から分離された頭髪や臓器は,財物となりうる。人の死体,遺骨,遺髪および棺内収納品の領得については,190条の処罰対象となっているが,相当な価値が認められれば,社会法益侵害とは別に,財物侵害としても処罰可能であろう。ただし,当該物が誰の所有にも属さない無主物であれば,財産犯は成立しない。河川敷内の砂利について,所有権の対象となっていないとして,財産犯の成立を否定した判例もある。麻薬・銃器などの禁制品については,政策的理由で所有が禁じられているだけであり,本質的に所有権の対象たりえないわけではないから,財物性を認めうる。刑法は民法的な意味での本権を保護するものではないからである。
次に,不動産の問題がある。不動産の財物性に特段の疑問はなく,横領罪はもちろん,交付罪についても1項詐欺・1項恐喝が成立する。これに対し,盗取罪(強盗・窃盗)については,1960年に不動産侵奪罪(235条の2)が新設されたため,不動産窃盗の問題は解消し,不動産強盗についても2項強盗(利益強盗)として処理できることから,窃盗及び強盗の罪の章(第36章)についてのみ不動産は「財物」に含まれないと解しつつ不動産侵奪と2項強盗でこれを罰するのが現在の通説となっている。だが,同じく不動産を領得しながら,詐欺・恐喝の場合は1項,強盗の場合は2項というのは,無理のある解釈である。不動産窃盗の問題は,財物性の問題ではなく,不動産が「窃取=こっそり取得する」行為になじみにくいだけであり,不動産の「強取=暴行・脅迫によって取得する」行為は,充分にありうる以上,1項強盗の成立を認めるべきだろう。

2.財産上の利益
利益罪の客体である「財産上の利益」については,一般に,財物以外の財産的利益のすべてだとされ,広範に捉えられている。債権取得のような積極的財産の増加はもちろん,債務免脱などの消極的財産の減少も含まれ,また,弁済の延期などの一時的利益でもよい。取得方法も,①被害者に財産上の処分をさせる,②労務を提供させる,③一定の意思表示をさせる,など多様な方法があるとされている。しかし,本罪は財産侵害一般のバックアップ条項ではないので,それなりの限定は必要である。いくつかのポイントを確認しよう。
(1)経済的価値
まず,財産的利益である以上,その価値の内容が問題になる。もともと,近代以前の刑法では財産犯とは財物罪のことであり,利益罪は、商品交換社会が出現した近代以降の産物である。労働をはじめとした様々な非物質的「利益」が商品化され,その上に生計を立てる(即ち,保護に値する切実性を持つ)者が出現したからであろう。したがって,この領域では,財物とは異なり,価値が,近代的商品としての性格,つまり経済的交換価値に強く懸かっていることになる。だとすれば,「財産的利益」は,「何らかの価値」では足りず,基本的に経済的価値でなければならない。ただし,ゴルフ会員権など,交換価値を有する資格は財産上の利益に含まれる。もっとも,商品化が極限まで押し進められた現代社会にあっては,経済的価値に換算できない利益はないといえる。特に労務提供の場合にはこの点が問題となるが,この場合重要なのは,それが被害者にとって現にどのような価値であったかという点だろう。交換のための商品として行う有償労務と,好意に基づく無償奉仕は,はっきり区別すべきである。だから,同じくタクシー運転手を欺罔して目的地まで搬送させたとしても,勤務中のタクシーに客として乗った場合は2項詐欺罪だが,勤務を終えて帰宅途中の自家用車に好意で乗せてもらった場合であれば犯罪とならない。後者は,好意を裏切ったに過ぎず,財産侵害をしたわけではない以上,当然である。
(2)利益の移転性
2項犯罪が,財物の占有移転を要する一項奪取罪を原型とした犯罪形態であることから,「財産上の利益」についても「移転性のある利益」に限られるとする説もある。この見解によれば,「情報」のように,不正取得されても本来の保有者の元から失われることのない利益は,利益罪の対象でなくなる。特許権・著作権等の特別法で保護されている無体財産権についても同じことがいえるだろう。これらの権利侵害について,特別法によって利益罪の対象から除かれたかのように説明されることもあるが,むしろ特別法によって初めて処罰可能になったと解すべきである。なお労務についても移転性を疑問視する見解もある。「労働力」はそうかもしれないが,「労働」は,その都度,その場で費消されつつ,創造された新しい価値に結晶していくものであるから,移転性を肯定してよい。