第10回目

刑法ⅡB 補助プリント(No. 10) 詐欺罪②
(No. 9)からの続き

(2)いわゆる「キセル」乗車
 いわゆる「キセル」乗車は,欺罔行為をどうみるのか,処分行為をどうみるのかといった点が問題となる。乗車駅の段階で利益詐欺(2項詐欺)の成立を認める判例【テキスト119以下】,下車駅の段階で詐欺を認める判例【事例1】に分かれる。学説には,詐欺罪の成立を否定する立場もあるが(平川・曽根),判例にも詐欺罪の成立を否定したものがある【事例2】。
【事例1】福井地判昭和56・8・31判時1022・144
<判旨>「入口東名川崎インターチェンジから流入してきた被告人としては,出口の石丸岡あるいは福井インターチェンジを流出するに当り,同料金所の係員に対し『入口東名川崎』の通行券を提示したうえ,右通行区間の正規料金を支払うべき義務があり,他方右料金所の料金徴収員にはその支払を請求する権利があることは言うまでもないところ,本件において右出口の料金所の料金徴収員において,『入口武生』の無効な通行券を提示,『武生一丸岡』間あるいは『武生一福井』間の通行料金のみを支払ったにとどまる被告人に対し当該料金所から流出するのを許容したのは,右欺罔手段に供された無効な通行券が当日武生インターチェンジで交付を受けた有効なものであり,被告人の運転する車両が武生インターチェンジから流入してきたものであるという錯誤に陥り,……前記の如き過少の通行料金の支払いを請求するにとどまるのを余儀なくせしめられたからであって,右認定の事実関係及び説示するところに鑑みると,料金徴収員の右通行料金の過少請求行為を目し詐欺利得罪の構成要件をなす財産的処分行為にあたるというべきであり,……。」
【事例2】東京高判昭35・2・22東高刑時報11・2・43
<判旨>「旅客及び荷物運送規則第230条,第250条,第264条等によれば,旅客は乗車に際し,乗車券を係員に呈示して入鋏を受くべきものであり,乗越をしようとするときは,あらかじめ,係員に申し出て,その承諾を受けるべきであり,その場合には乗越区間に対する運賃を支払えば足るのであるが,右の承諾を受けずに乗り越したときは,乗越区間に対する運賃と,その2倍に相当する額の増運賃とをあわせて支払わなければならないことになっており,同取扱細則第259条第1項によれば,あらかじめ,係員の承諾を受けずに乗り越した場合においても,特別の事由があって増運賃を収受することが特に気の毒と認められ,且つ,これを免除しても別段支障がないと認められるときは,係員の承諾を得たときと同様に取り扱うことができるのであって,かかる場合には,車内において係員の改札の際,乗越の駅を申告して運賃を支払い,また,車内改札のないときは,下車駅において運賃の精算をしなければならないことになっておるから,乗越の場合に,乗車駅において係員にこれを申告する法律上の義務はないのである。而して,単純な事実の緘黙によって他人を錯誤に陥れた場合においては,事実を申告すべき法律上の義務が存する場合でなければ,これを以て詐欺罪における欺罔があるとはいうことができないのである。本件において,被告人は府中本町駅まで乗り越す意思であったに拘らず,これを申告せず,八王子駅の表示された乗車券を橋本駅の係員に呈示して乗車したのであるから,係員としては被告人が八王子駅において下車するものと信ずるのは当然であり,この点において係員が錯誤に陥ったことになるのではあるが,被告人において橋本駅(注・乗車駅)における改札の際,乗越の意思のあることを係員に申告する法律上の義務のないことば前説示のとおりであるから,被告人の右不申告によって係員が錯誤に陥ったからといって,該事実を以て詐欺罪における欺罔とはいうことを得ないのである。次に乗客が下車駅において精算することなく,恰も正規の乗車券を所持するかのように装い,係員を欺岡して出場したとしても,係員が免除の意思表示をしないかぎり,前述のような正規の運賃は勿論,増運賃の支払義務は依然として存続し,出場することによってこれを免れ得るものではないから,これを以て財産上不法の利益を得たものということはできない。」
(3)詐欺の財産犯的性格
 詐欺罪は財産犯であるから,財産的損害のないところに詐欺罪の成立はない。【テキスト139以下】は旅券の交付にかかわるケースであったが,詐欺を否定する理由は微妙である。資格証明書の発行にかかわる類似のケースでも,財産的損害が認定される場合には,詐欺罪の成立を認めている【事例3】。ただし,損害の有無に関して,たとえ価格相当な商品の販売であっても,欺罔行為による錯誤があれば,詐欺罪は成立する【事例4】。
【事例3】大阪高判昭和59・5・23高刑集37・2・328
<判旨>「国民健康保険被保険者証(以下,単に被保険者証ともいう)は,市町村が国民健康保険を行う場合にあっては,被保険者の属する世帯の世帯主が当該市町村から交付を受けるものであって(国民健康保険法9条),それはその交付を受ける者,その他一個人の所有権の客体となるべき有体物であり,刑法にいわゆる財物にあたるものといわなければならない。しかのみならず,……被保険者が療養の給付を受けようとするときは,原則としてこれを療養取扱機関に提出しなければならないものであり(同法36条),被保険者証は,単なる事実証明に関する文書とは異り,それ自体が社会生活上重要な経済的価値効用を有するものであるから,当該市町村の係員を欺罔して被保険者証の交付を受けてこれを取得する場合においても,詐欺罪の規定の保護に値し,同罪の構成要件を充足するものとして,詐欺罪の成立を認めるのが相当である(最高裁昭和24年11月17日第一小法廷判決・刑集3巻11号1808頁参照)。原判決は,『それ(被保険者証)が不正取得されることによって侵害される利益は,専らその証明事項の真偽に係り保険事業の適正な運営の確保による保険行政上の利益であって,かかる利益は刑法にいう財産上の利益には該当しないというべきであり,国家的・社会的法益に向けられた詐欺的行為は,個人的法益たる詐欺罪の定型性を欠くものであるから,本件の欺罔手段を用いて国民健康保険被保険者証の交付を受ける行為は,財産権を侵害すべき性質をもたず,したがって詐欺罪を構成しないものというべきである。』と判示する。
   しかし,原判決がいうように,欺罔手段を用いて国民健康保険被保険者証の交付を受ける行為が国家的・社会的法益の侵害に向けられた側面を有するとしても,そのことの故に当然に詐欺罪の成立が排除されるものと解するのは相当でない。すなわち,欺罔行為によって国家的・社会的法益が侵害される場合においても,当該行為が同時に詐欺罪の保護法益である財産権を侵害し,同罪の構成要件を充足する以上,……詐欺罪の成立を認めるべきものといわなければならない(最高裁昭和51年4月1日第一小法廷決定・刑集30巻3号425頁参照)。……」
【事例4】最決昭和34・9・28刑集13・11・2993
<決定要旨>「なお,たとえ価格相当の商品を提供したとしても,事実を告知するときは相手方が金員を交付しないような場合において,ことさら商品の効能などにつき真実に反する誇大な事実を告知して相手方を誤信させ,金員の交付を受けた場合は,詐欺罪が成立する。そして本件の各ドル・バイブレーターが所論のようにD型で,その小売価格が2100円であつたとしても,原判決の是認した第一審判決が確定した事実によると,被告人は判示堀内重夫外16名に対し判示のごとき虚構の事実を申し向けて誤信させ,同人らから右各ドル・バイブレーターの売買,保証金などの名義のもとに判示各現金の交付を受けたというのであるから,被告人の本件各所為が詐欺罪を構成するとした原判示は正当に帰する。」
(4)不法原因給付と詐欺
 被害者の行為が不法原因給付にあたり,被害者に返還請求権が認められない場合にも,詐欺罪は成立する【事例5】。売淫料支払いの免脱については,詐欺を認めたケース【事例6】と,詐欺を否定したケースがある【事例7】。
【事例5】最判昭和25・12・5刑集4・12・2475
<判旨>「論旨は被告人とA間の判示金銭の受授は米の闇売買をする為めに行われたものであって不法行為を目的とするものであるから詐欺罪は成立しないと主張する。しかし闇米の売買であっても,実際被告人は米を買ってやる意思がないにも拘わらず米を買ってやると欺いて其代金を騙取した以上詐欺罪の成立すること勿論である,従って論旨は理由がない。」
【事例6】名古屋高判昭和30・12・13裁特2・24・1276
<判旨>「原審認定の契約が売淫を含み公序良俗に反し民法第90条により無効のものであるとしても民事上契約が無効であるか否かということと刑事上の責任の有無とはその本質を異にするものであり何等関係を有するものでなく,詐欺罪の如く他人の財産権の侵害を本質とする犯罪が処罰されるのは単に被害者の財産権の保護のみにあるのではなく,斯る違法な手段による行為は社会秩序を乱す危険があるからである。そして社会秩序を乱す点においては売淫契約の際行われた欺罔手段でも通常の取引における場合と何等異るところがない。」
【事例7】札幌高判昭和27・11・20高刑集5・11・2018
<判旨>「元来売淫行為は善良の風俗に反する行為であって,その契約は無効のものであるからこれにより売淫料債務を負担することはないのである。従って売淫者を欺罔してその支払を免れても財産上不法の利益を得たとはいい得ないのである。」