曾祖父 木村弦雄 関連資料 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1953年(昭和28年)白川大水害(6.26水害)の被害は、死者行方不明者422人、家屋浸水31,145戸、橋梁流出85橋にのぼった(熊本河川国道事務所ホームページ).
当時、熊本市新屋敷町の実家も床上浸水の被害があり、曾祖父の木村弦雄に関連する資料の一部も水没しました.水没を免れた掛け軸等と洗浄・乾燥した資料をまとめ、保存していました.また、2016年(平成28年)4月に発生した熊本地震で, 小峯墓地の墓が倒壊しました.周辺の墓の約8割が倒壊しており, 再建に時間を要しましたが2018年(平成30年)3月に再建できました.
この機会に、曾祖父の木村弦雄に関連する資料の歴史的価値を明らかにしたいと、木村弦雄の生誕地であり、義兄の木村鉄太を紹介している 玉名市立歴史博物館こころピア に資料を持参しました.資料を解読された同館の村上晶子氏から、2019年(令和元年)12月に歴史的価値について連絡をいただきました. そこで、2020年(令和2年)3月に、再度同館を訪問し、資料寄託が最善である旨の意見をいただきました.4月に資料寄託申込書を送付しました.寄託した資料は全57点です. 内訳は、血史 邦舟 木村弦雄 著(1943年(昭和18年)11月、第3版)、神風連・血史(1976年(昭和51年)10月)、日本談義 No.308、 No.309、No.310(1969年(昭和44年)?)の5点と下表の52点です.これらの資料の閲覧は、玉名市立歴史博物館こころピア に連絡されれば可能です. 下表は、玉名市立歴史博物館こころピアの村上晶子氏によって作成された目録です.なお、■は傷みやかすれで字が判読できない箇所、青文字は、人物が確定できなかった人々です. また、井上毅が菊池千本槍を贈られた際に読んだ歌の読みを解説していただきました.本ページの最後に掲載しています。
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