2007年2月15日(木)
第1話

あれは24、5年前のつゆの東京のまっただなかだった。某レコード会社の話しをつてに、京都の学生アパートから阿佐ヶ谷の1Kに引越してきたが、そのいい話もこじれてきて、いつの間にかレンタカー屋でアルバイトの毎日を過ごしていた。
そんな時一本の電話が鳴った。(もしもし田中ですけど、お母さんから電話があってね..........)  そのお母さんとは只今絶縁中、話は聞きたくないのだがと思いつつ..............、とにかく ミュ-ジシャンのジェフと言う人がいて、知り合いになって、なかなか売れない息子の話をしたら、デモテープを送ってくれ、、、とのことだった。
母親のおせっかいに、(ここは無視)とも思ったが、とにかく話だけでも、、、と、デモを送った。
 そして程なく、回りそうで回らない歯車がギシギシと音をたてて回り始めたのだ。。。。。。
今.焼きつきそうな陽射しのなかを、ギターケースと身の回りの物を詰め込んだボストンバッグを両手に下げ、汗を滴らせながら那覇空港からバスセンターヘの道を歩いている。実はジェフの顔も知らないし、沖縄に来たのも初めてだ。だがここにくる前に道は地図で確かめてiいる。2キロも歩けばバスセンターに着くはずだ。それにしても沖縄の陽射しはただものではない。バスに乗ればよかったと後悔するが、それ以上に人ごみがきらいだ。こういう時は考え事をしながら、ひたすら歩く。
ジェフは自分より2歳年上だそうだ。日本じゅうをあちこち放浪しながら Rock の修行にこの沖縄に2〜3年前から来ていて、米軍基地でライブしたり ストリートで歌いながら生計をたてているそうだ。時々コンディショングリーン、紫、等の演奏しているライブハウスで飛び入りで歌ってもいるらしい。送られてきたメッセージとライブの生録の入ったテープ、手紙によるとだ。
 それにしても、さっきからず〜と鉄条網の付いたフェンスが左側に続いている。中にはどう見ても普通じゃないトラック、陸揚げされた沢山の物資、でかい船、みんな迷彩色だ。なるほど!ここが那覇軍港なのか! そういえば、日本に在る米軍基地の7割が、沖縄に集中していると聞いたことがある。その中で、自分が米兵相手にロックギターを弾く事ができるのか???と思うと足取りも更に重くなる。 しかし、ここに来るのに東京のアパートも引き払い、マーシャル100W 2段積み、大事にしていた TE-71も処分して、松くい虫の駆除のバイトで日本中の山、林の中を駈けずり回ってここに来ているのだ。  前に進むしかない。
 2Kmほど歩くと、道は大きく左にカーブして、大きな橋が見えてくる。国場川に掛かる明治橋だ。それを越すと右手にバスセンターが在るはずだ。
そして、そこにバスセンターは在った。 書いてあったとうりに” 胡屋経由のコザ十字路行き” のバス停を見つけてベンチにへたり込んだ。なにせ愛用のFender ST 76年はアッシュボディーで、軽いアルダーやライトアッシュではない。そのうえハードケースだ。死んだ。
〜程なくバスはやって来た。それに乗り込むと、ホッ、、と一息ついた。。。。(しかしその時点で、その夜の恐怖の大歓迎が有る事など知る由もないのである。)              


 

2007年3月8日(木)
第2話  恐怖の大歓迎

 バスは最初に、沖縄の西海岸を辺戸岬まで通じている国道58号線を走る。安謝橋を過ぎると左手に、また鉄条網の付いたフェンスが続く。キャンプキンザーである。中は芝生がきれいに刈り込まれ、建物はアメリカ風で優雅ですらある。広大な敷地にゆったりと配置してあるのだ。しかし右側はどうだ!沖縄特有の潮風にさらされているせいか、ブロックやコンクリートで作った家や商店などは、壁の塗装が劣化してうす汚れているところが多い。しかも、看板や壁に書いてある文字はほとんど英語だ。異国に来たみたいだ。
米軍基地には、所々にゲートと呼ばれる出入り口が有る。そこには、銃を構えて不動の姿勢で立っている兵隊がいて、そこから出入りする人や車をチェックしている。勿論、普通の民間人は入ることはできない。パスなしに入ろうとすれば、ズドン!である。命の保障などない。
 バスは大謝名という交差点まで来ると右に折れた。そして、商店街を通って、こんどは左に曲がった。しばらくすると、こんどは左に大きな飛行場が見えてきた。これが”普天間基地”だ。巨大な輸送機が、物凄い騒音を振りまきながら、飛び去って行った。さすがに極東最大の空軍、嘉手納基地と並ぶ、アメリカ海軍飛行場である。ちなみに、アメリカ空軍を"Air Force" 海軍を”Navy” 海兵隊を”Marine Corps”と言う。後に、その全ての基地に出入りする事になるのだが、その時は、とてもそんな事など、想像すら出来なかった。
 どの位バスに乗っているのだろう、だんだん不安になってきた。なにせ知らない土地である。乗り越してしまったのではないか?と
キョロキョロ辺りを見回すが、バス停の名前も読めないのがほとんどだ。そうこうしているうちにバスはT字路に差し掛かった。正面はまたフェンスで囲まれた基地、キャンプフォスターだ。そこを右に曲がって暫らく行くと、右手にこんどはでっかいアメリカ国旗と日本の国旗が見えてきた。ミニホワイトハウスという感じだ。これが米軍海兵隊施設喜舎場テラスハイツだ。沖縄に観光に来る人は、大概58号線沿いに移動するから、このコースにはほとんど来ない。明るいトロピカルなイメージの沖縄と思っていたが、少しずつではあるが、現実の沖縄がベールを脱いでくる。
 実は僕はバス嫌いである。めったにバスには乗らない。だが、こういう時はバスもいいもんだ。自分で運転しなくていいから色々観察出来る。少しでも情報を集めておけば、いつ役に立つやも知れない。そういえば、走っている車の様子が違う。古い型の車がほとんどだ。それも、ぶつかってへこんでいても、修理せずに乗っている。中にはドアとかボンネットの色が違う車も走っている。それに、日本車なのに左ハンドルの車が結構いる。YナンバーやEナンバーもよく見掛ける。本土の人は車に少しでも傷が入ると、大騒ぎする。勿論 自分も御多分にもれない。沖縄の人は、そんな事は気にもしないのかと思ったら、後にバンド仲間が教えてくれた。沖縄では、潮風が強くて、新車を買ってもすぐに錆び付いてしまうので、本土から運ばれてくる中古車で十分だそうだ。さすがアメリカじこみ。合理的である。車は、走ればいいのだ。見栄を張ることはない。
 やがてバスはプラザハウス前という所を過ぎて、しだいに街中に入っていった。やっと沖縄市(コザ)だ。嘉手納基地のゲート2に真っ直ぐに繋がる大道り、(空港通り、又は、ゲート通り)にぶつかる交差点を過ぎたすぐのところに目的のバス停、(胡屋)が在った。バスを降りると同時に、すがすがしい開放感と、沖縄の真夏の空気、知らない土地のにおい、そして期待と不安が入り混じった複雑な感覚に包まれた。さて、これからジェフのアパート探しだ。胡屋の十字路を、嘉手納基地のゲート2と反対方向に少し歩くと、警察所が在るはずだ。????100メートル程歩いたところの右側に確かに在った。立っていたお巡りさんに道を聞くと、親切に道順を教えてくれた。
 それにしても、沖縄の夏の天気は要注意だ。あれほど晴れて焼け付く暑さだったのに、警察所を出るころには、空を見上げると、黒い雲が空を覆っている。4,50メートル歩いた所でボツボツと雨が落ちてきた。しかも超大粒である。これはヤバイと思っている内に、あっというまに土砂降りの雨だ。慌てて近くの建物の軒先に駆け込んだ。これが沖縄のスコールだ。雨宿りしながら、濡れた腕時計を見ると、3時40分。空港を出てから4時間程経っていた。
 10分程経ったろうか、雨はいっこうに止まないので、そろそろ移動しようかと思っていると、つい隣のアパートらしき建物の一角から、なにやら音楽が聞こえてくるではないか。しかも、Rockではないか!それも曲はホワイトスネークの"Fool For Your Loving"だ!それをこんな音量で鳴らしてご近所様は大丈夫なのか?という位大音量で鳴らしている。(京都とか東京とかで暮していると、ステレオの音量には非常に気を使う。こんな音は出せない) 近くまで移動して中の様子をうかがうと、閉められた窓越しに、PAスピーカーやアンプみたいなシルエットが擦りガラス越しにみえる。隣の窓は網戸で、ガラス窓は全開だ。中から大音量の音楽と共に野太い声が聞こえてくる。どう考えてもここがジェフのアパートであろう!。。。。 ドアの前に行ってノックをしながら大声で叫んだ。「ジェフさ〜ん!」  と、中からまた野太い声で「だれか〜!」 「リッチーで〜す!」 そして音楽が急に消えると、ドアがおもむろに開いた。出てきたのは、身長1m90cmは軽くありそうな、やけにがっちりした大男であった。チュルチュルにパーマをかけた髪を背中の真ん中あたりまで伸ばしていて、見た目は一見 Deep Purple のデビッド カバーデイル風である。かなり筋トレでもしているのか、やけに上半身がデカくてがっちりしている。「お〜、遠い所からよく来たな〜まあ入れよ!」 「お邪魔しまーす。」と入ろうとしたが、??? このアパートはドアからいきなりフロアーになっていて、靴の脱ぐ場所がないのである。困った顔をしていると、「あー 靴だろう、ここは元外人住宅なんだ。靴のまま入ってくれ」  と言われても日本人。靴のまま室内に入るのには非常に気がひける。ついでに腰までひける。2,3歩中に入って、とりあえず重いギターとボストンバッグを角に置いて室内を見渡した。部屋は6畳 DKだが、すぐ左の壁際には、なんとレズリースピーカーが置いてある!その横にはハモンドB-3だ!ジェフはVocalだろう?ギターを弾く事は知っているが、、、、「これ、ハモンドでしょう?」 「ああ、それだろう、大して弾けるわけでもないけど、ハモンドの音が好きなんだ。ギターに使っても良い音がするよ。聞いてみるか?」と言っておもむろに、床に転がっていたレズリーのリモートスイッチをボチッと踏んでB−3を弾きはじめた。出だしの三つの音を聞いて思わずニヤリとしてしまった。Deep Purple の Child In Time だ。高1の時に Live In Japan の、この曲のイントロのハモンドの音に感動した事を思い出した。でもこれって白鍵だけで弾けるので、自分もよくまねして弾いたことがある。まあこれに関してはお互い素人である。しかし、ルーツは同じみたいなので、一安心だ。 レズリースピーカーは高さ1M、幅60cm程の木の箱だ。スイッチを入れると、上部の隙間から、回転スピーカーがカラカラ音を立てて回っているのが見える。もう一方のスイッチを踏むと、回転のスピードが速くなる。本物を目の前で見るのは初めてだが、音はやっぱり素晴らしい。 ところで、僕の荷物はーと少し不安になってきたところで、、、在った在った部屋のすみに。東京を出る時に荷造りして送った荷物だ。寝具一式、最低限の衣類、大事なレコード、数セットの食器、5、6個のエフェクター、それにここに来る為に新しく購入した、PEAVEY のアンプ。実は何を隠そう僕は引越しのプロだ。これまでに20回は軽くこなしている。だから、これだけの荷物もダンボール2個にまとめてある。その代わり、1個当たり非常に重いのが難点だ。それにしても、外人住宅はおもしろい。ドアの色はなんと青だ。窓枠も青く塗られている。この部屋には 出口を含めて3っつの青いドアが在る。内、室内の右手のドアを開けると、中はバスルームとトイレになっている。外人用だから便器がでかい。落ちそうである。風呂はタイル張りで、これまたでかい。おもしろいことに、水道の蛇口からつららのような物が下に伸びている。排水口も白い物がこびりついている。ジェフに聞いてみると、沖縄の島は琉球石灰で出来ているので、水道水に石灰分が多く含まれているそうだ。それが少しずつ伸びて鍾乳石みたいに下がっているのだ。そして左側のドアの奥が器材室。これがまたたまげた。中にはP,A屋さんみたいな機材、どでかいスピーカー、ツイーター、モニタースピーカー、スタンド類、Fenderギター。Marshall1959、Twin Reverb、そして商売道具のYairiのアコギ etc,が所狭しと押し込んである。  ん。。。。。という事は僕はどこで寝泊りするんだろう?部屋が見つかるまでは一時の間、ここに居候する事になる予定なのだが?と一抹の不安がよぎる。部屋はこれだけだ。
「ところでリッチー、長旅で疲れただろう?腹もへっているだろうから飯でも食いに行くか!」 図太い声に我に返ったのだが、ありがたい提案である。そういえば朝に空港で朝食をとったきり何も食べてなかった。急に腹がへって来た。「あっ!いいですねーそれ」 とりあえず、”腹がへっては戦はできぬ”である。「沖縄の料理は食べた事あるか?」 「いや、ないです。」 「じゃあ近くにうまい食堂が在るんだ、行こう!」 と言うことでそのままドアを開け外に出た。靴を脱いだり履いたりしないから何かメリハリがない。まあそのうち慣れるか、、、。 食堂は本当にすぐ近くに在った。ほんの100メートル程の所だ。のれんをかきわけて中に入ると空いているテーブルについた。壁にはメニューが貼ってあったが、何が何だかさっぱり解らない。中には”みそしる”ってのがある。”おかず”ってのもあるぞ! ゴーヤチャンプルーってなんだ?”なかみ”?、、、、、、ジューシー?? とそこでジェフがニヤニヤしながら言った。「おもしろい話があるんだ。沖縄に初めて来たナイチャーが食堂に入って,おばさん!ご飯と”おかず”と”みそしる”お願い!って注文したら、なんとご飯が三つもきたってよ。」 沖縄では、定食が基本で”ゴーヤチャンプルー”っとか、”みそしる”って注文すると、ご飯と汁物が付いてくるのだ。初めて沖縄に行く人は、御注意を!
ということで、まずはゴーヤーチャンプルーなる物に挑戦してみることにした。ゴーヤーとは、”にがうり”の事で、豆腐、卵、鰹節、キャベツ等を炒めてある料理で、最初はかなりにがく感じるけど、慣れるとこれが結構おいしいのだ。ビタミンが豊富で、夏バテ予防に良いそうだ。沖縄の料理は塩っ辛いのが多い。汗をいっぱいかくので塩分補給という意味が有るのだろう。慣れるまでは結構かかりそうだ。それにしてもショックなのは、玉子焼きが塩味、それも、かなり効かせてあった事だ。楽しみに、最後に食べようととっていたのだが、一口食べた途端、奈落の底に突き落とされた。やっぱり玉子焼きは砂糖だと思いますが如何かな?
 ジェフのアパートに帰ると、ドアの前に誰か立っていた。いかにも沖縄風の太くて濃い眉の青年だ。しかも片手には酒瓶をもっている。 と、ジェフが「オー新庄かー。大分待ったかー」「今着いたとこさージェフ」「こちらが内地から今日やってきたギターのリッチー、こちらは今ドラムをやってもらってる新庄だ。」「遠い所からよく来たさー、よろしく!」 と手を差し出して来た。そうか!沖縄は挨拶もアメリカ式か、、、と慣れない手を出して握手をした。ちょっと気取っている様で、何となく気恥ずかしい。「さっそく、中で一杯やるか!」

Bandman 放浪記