2018 第9回目
刑法ⅡA 補助プリント(No.9)文書偽造罪①
1 文書偽造罪(総説)
(1) 保護法益
文書偽造罪に関する各犯罪の保護法益は、文書に対する信用である。それは通貨偽造罪のような「公衆の信用」というほどの広がりはなく、その文書に関係を有する者の信用の保護である(山口)。文書が刑法上の保護を受ける理由は、文書が名義人の「意思・観念の表示の証拠」であり、その表示が、経済的取引など、社会生活上重要な実体関係の証明に奉仕すべきものとして機能しているからである。だから、私文書偽造の客体としての文書は、「権利、義務若しくは事実証明に関する」ものに限定される。文書偽造罪は「証拠犯罪」として理解されるべきものである。
(2) 文書の意義
文書とは、「①媒体の上に可視的・可読的な状態で固定された、人の意思・観念の表示であって、②意思・観念の表示の主体である、作成名義人が認識可能なものをいう」(山口)。
可視的なものでなければならないが(テープや電磁的記録は文書でない)、可視的なバーコード表示は文書たりうる。また、意思・観念の表示であるから、一定の意味を有することが必要である。判例は郵便日付印の捺印も文書とする(大判昭和3・10・9)。さらに、文書偽造罪にいう文書であるためには、作成名義人が認識可能でなければならない。ただし、その者が実在することまでは要求されない。文書の「写し」について、かつては、原本を正写した「認証文言」が記載ある場合にのみ文書性を肯定したが(最決昭和34・8・17)、コピーの普及に従い、写真コピーの上に印章、署名が複写されている以上、文書偽造罪の客体になりうるとされるに至った【事例1】。ただし学説では批判が多い。写しの作成名義人は写し作成者であり、その記載を欠く以上、文書とはいえないと考えられているからである。
【事例1】最判昭和51・4・30刑集30・3・453
〈判旨〉「おもうに、公文書偽造罪は、公文書に対する公共的信用を保護法益とし、公文書が証明手段としてもつ社会的機能を保護し、社会生活の安定を図ろうとするものであるから、公文書偽造罪の客体となる文書は、これを原本たる公文書そのものに限る根拠はなく、たとえ原本の写であっても、原本と同一の意識内容を保有し、証明文書としてこれと同様の社会的機能と信用性を有するものと認められる限り、これに含まれるものと解するのが相当である。すなわち、手書きの写のように、それ自体としては原本作成者の意識内容を直接に表示するものではなく、原本を正写した旨の写作成者の意識内容を保有するに過ぎず、原本と写との間に写作成者の意識が介在混入するおそれがあると認められるような写文書は、それ自体信用性に欠けるところがあって、権限ある写作成者の認証があると認められない限り、原本である公文書と同様の証明文書としての社会的機能を有せず、公文書偽造罪の客体たる文書とはいいえないものであるが、写真機、複写機等を使用し、機械的方法により原本を複写した文書(以下「写真コピー」という。)は、写ではあるが、複写した者の意識が介在する余地のない、機械的に正確な複写版であって、紙質等の点を除けば、その内容のみならず筆跡、形状にいたるまで、原本と全く同じく正確に再現されているという外観をもち、また、一般にそのようなものとして信頼されうるような性質のもの、換言すれば、これを見る者をして、同一内容の原本の存在を信用させるだけではなく、印章、署名を含む原本の内容についてまで、原本そのものに接した場合と同様に認識させる特質をもち、その作成者の意識内容でなく、原本作成者の意識内容が直接伝達保有されている文書とみうるようなものであるから、このような写真コピーは、そこに複写されている原本が右コピーどおりの内容、形状において存在していることにつき極めて強力な証明力をもちうるのであり、……右のような公文書の写真コピーの性質とその社会的機能に照らすときは、右コピーは、文書本来の性質上写真コピーが原本と同様の機能と信用性を有しえない場合を除き、公文書偽造罪の客体たりうるものであって、……」
(3) 偽造の意義
「偽造」とは、他人名義の文書を作成すること(AがB名義の領収書を作った)、つまり作成名義の冒用(有形偽造)であり、そのような文書を偽造文書または不真正文書という。これに対し、「虚偽文書作成」とは、文書作成権限をもつ者が内容虚偽の文書を作成すること(無形偽造)であり(Aは自分名義で虚偽の領収書を作った)、そのような文書を虚偽文書という。
「変造」とは、真正に成立した文書に変更を加えることであり、作成名義人でない者が変造する場合を「有形変造」、作成名義人が変造する場合を「無形変造」という。債権証書中の1字を改めて内容を変更したりするのが変造の例である。
(4) 有形偽造の意義
現行刑法は、文書偽造につき、有形偽造の処罰を基本とする。それは、文書の作成名義人の意思・観念の表示の証拠として使用できないものを不正に作出することの処罰を基本にしているのであるから、文書の成立についての形式的な真正を保護していることになる。これを「形式主義」という。これに対し、文書の内容的真実を保護する立場を「実質主義」というが、現行法は、あきらかに形式主義を基本とし、公文書のように内容的真実性が要請される文書についてのみ、実質主義を限定的に採用している。
こうして有形偽造が中心となり、文書の作成名義人と作成者の関係が重要な問題となる。作成名義人は、その文書において作成者として認識される者であり、作成者がそれと同一でない場合に、有形偽造になる。最近の判例では、【事例2】のように、文書の名義人と作成者の「人格の同一性を偽る」と表記されることが多い。
【事例2】最決平成5・10・5刑集47・8・7
<事実> 被告人は、自己の氏名が第二東京弁護士会所属の弁護士Yと同姓同名であることを利用して、同弁護士になりすまし、「弁護士Y」の名義で本件各文書を作成した。
<決定要旨>「ところで、私文書偽造の本質は、文書の名義人と作成者との間の人格の同一性を偽る点にあると解されるところ、……、本件各文書に表示された名義人は、第二東京弁護士会に所属する弁護士Yであって、弁護士資格を有しない被告人とは別人格の者であることが明らかであるから、本件各文書の名義人と作成者との人格の同一性にそごを生じさせたものというべきである。したがって、被告人は右の同一性を偽ったものであって、その各所為について私文書偽造罪、同行使罪が成立するとした原判断は、正当である。」
2 財務省による公文書の改ざんを不起訴(虚偽公文書作成罪)としたケース
刑法156条 公務員が、その職務に関し、行使の目的で、虚偽の文書若しくは図画を作成し、又は文書若しくは図画を変造したときは、印章又は署名の有無により区別して、前2条の例(1年以上10年以下の懲役)による。
○学校法人「森友学園」への国有地売却をめぐる公文書改ざん問題で、大阪地検特捜部が当時の佐川宣寿財務省理財局長らを不起訴処分とした。「虚偽の文書」については「その文書の本質的な部分、重要な部分について虚偽が記載された場合に限られる」という理由であった。
○若干の報道を引用しておく。
時事通信社:
①内閣府関係者は「あれで公文書偽造にならないとは…」と絶句。
②文部科学省関係者も「特捜部が動いてこの結果か」と嘆いた。
③総務省関係者は「納得できない人は多いだろう」と指摘した。
日本経済新聞:
①特捜部は捜査の結果、改ざんは文書全体の一部にとどまり、交渉経過などが削除されても、契約の趣旨や内容が大きく変更されたとはいえないと判断。過去の公文書を巡る事件の裁判例も踏まえ、佐川氏らの不起訴を決めたとみられる。
○今回の検察の判断は検察独自の判断である。
かつて検察は、陸山会の政治資金規正法違反事件の捜査で、当時国会議員で会った石川知裕氏の取調に当ったT検事が内容虚偽の捜査報告書を提出していたことが明らかになったが、虚偽有印公文書作成罪で告発されていたT検事を「不起訴」とした。この件を調査した最高検察庁は、①T報告書は、取調べにおける石川氏の供述と実質的に相反しない内容になっていること、②実際になかったやり取りが記載されている点については、その記載内容と同様のやり取りがあったものと思い違いをしていた可能性を否定することができないとして、Tには虚偽公文書を作成する故意は認められないとした。