2018 第6回目
刑法ⅡA 補助プリント(No. 6)名誉棄損罪
刑法230条① 公然と事実を摘示し,人の名誉を毀損した者は,その事実の有無にかかわらず,3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する。
② 死者の名誉を毀損した者は,虚偽の事実を摘示することによってした場合でなければ,罰しない。
231条 事実を摘示しなくても,公然と人を侮辱した者は,拘留又は科料に処する。
1 保護法益
社会関係における人間の「あり方」を見れば,名誉が刑法上の法益性をもつことはあきらかである。そして,名誉は,一般に,①内部的名誉,②外部的名誉(社会的名誉),③主観的名誉に分類される。内部的名誉は人の人格的価値そのもの(真価)であり,これは他人によって害されるものではない。外部的名誉(規範的名誉)は人に対して社会的に認められた評価である。主観的名誉は人の自己に対する評価(名誉感情)である。
名誉毀損罪の保護法益は社会的名誉である。社会的名誉は,人に対する過大評価としてありうるが,230条1項は「事実の有無にかかわらず」と規定するので,公然と真実を摘示してこの過大評価を正すことも,刑法は禁止している。いわば「虚名」も保護されている。刑法は,現実に,社会的に認められている評価を損なわないことに,価値を認めている。
侮辱罪の保護法益については見解の相違がある。通説・判例は社会的名誉であるとするが,反対説は主観的名誉であるとする。最決昭58・11・1刑集37・9・1341【テキスト31頁】は,法人に対する侮辱罪の成否をめぐって,この点が論点となった。団藤の反対意見【テキスト35頁】は,主観的名誉の要保護性に疑問があり(医者に「藪医者」と言い,学者に「無能」と言うのが侮辱にあたると解するのは,エリート意識などを刑法で保護するものであり,不適当である),通説が妥当。したがって「事実の摘示」の有無が名誉棄損と侮辱罪を分ける。
2 公然性の要件
名誉毀損と侮辱の行為は,公然となされなければならない。「公然」とは,不特定または多数の者が知りうる状態である。摘示事実は非公知のものであることを要しない(大判大5・12・13刑録22・1822)。いわゆる公知の秘密が公然と摘示されることもありうる。ただし,「公然と行為する」は,直接に不特定または多数の者に対して行為することを指す。たとえば,執行委員の大半および女子従業員10数名が参会した労働組合執行委員会の席上で,盗難事件に関連して組合を脱退した女子従業員を名指した場合に,公然性が認められている(最判昭36・10・13刑集15・9・1586)。
しかし,判例は伝播性の理論を採用するので,直接的には,特定かつ少数人に対する行為であっても,その内容が特定の少数人から不特定多数人に伝わる可能性があれば公然性を認める。【事例1】は数名から噂が村中に伝播した事案である。しかし,伝播の可能性で足りるとすれば,特定の1人に告げた場合でも「公然」となるケースもありうる。伝播可能性とは,結局,公然と伝播する可能性ということになり,その判断が問題になる。
【事例1】最判昭34・5・7刑集13・5・641
<事実> 被告人は自宅の庭先で燻炭囲の菰が燃えているのを発見し,消化に駆けつけた際,その付近で男の姿を見て,近所のAだと思い込み,確証がないのに,自宅で,Aの弟Bおよび火事見舞いに来た村会議員Cに対し,問われるままに,「Aの放火を見た」,「火が燃えていたのでAを捕えることはできなかった」と述べた。後日,A方で,Aの妻D,長女E,近所のFGHらに対し,やはり問われるままに同じ旨を述べた。そして,A放火の噂は村中に広まった。
<判旨> 「被告人は不特定多数の人の視聴に達せしめ得る状態において事実を摘示したものであり,その摘示が質問に対する答としてなされたものであるかどうかというようなことは,犯罪の成否に影響がない」とした原判決は正当である。
3 公共の利害に関する場合の特例
刑法230条の2① 前条第1項の行為が公共の利害に関する事実に係り,かつ,その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には,事実の真否を判断し,真実であることの証明があったときは,これを罰しない。
② 前項の規定の適用については,公訴が提起されるに至っていない人の犯罪行為に関する事実は,公共の利害に関する事実とみなす。
③ 前条第1項の行為が公務員又は公選による公務員の候補者に関する事実に係る場合には,事実の真否を判断し,真実であることの証明があったときは,これを罰しない。
(1) 違法性阻却の要件
本規定は昭和22年の一部改正により新設された。その趣旨については【事例2】の<判旨>が述べている。憲法的な観点から理解すると,市民が民主的自治を行う上で知る必要があり,市民の知る権利が認められる事実に関しては,表現の自由が名誉の保護に優先すべきことを定めた違法性阻却事由である。
違法性阻却の要件は,①事実の公共性,②目的の公益性,③真実性の証明の3つである。まず,事実の公共性は,摘示された事実が知る権利の範囲内にあるかどうかで判断される。つまり,違法性阻却の成否の鍵を握る要件であり,知る権利の範囲外にある事実ならば,それは知る必要のない事実であり,人の名誉を毀損してまで公表してよいことではない。たとえば2項と3項は,これに該当する事実として,それぞれ起訴前の犯罪行為に関する事実と公務員・公選公務員候補者に関する事実を例示している。前者は,とりわけ捜査機関の怠慢がある場合に,知る権利を実現するために,犯罪行為に関する事実を摘示する言論活動が必要となることを想定したものである。後者は,公務員選定罷免権や公務員の全体の奉仕者性(憲法15条)から理解しうる。
報道機関によるプライヴァシー侵害が常態化した現状において,溢れる情報状態の中で,どのような事実が知る権利の範囲内にあるかは,慎重に判断されねばならない。いわゆる「月刊ペン事件」最判昭56・4・16刑集35・3・84【テキスト40頁】は,私生活上の醜聞を侮辱的・嘲笑的に公表された者の名誉の侵害は重大であるとした原判決を破棄したものであり,【事例3】は,その破棄差し戻し後の第1審判決である。
【事例2】最判昭44・6・25刑集23・7・975
<事実> 被告人はその発行する「夕刊和歌山時事」に,「吸血鬼A’の罪業」と題し,A’ことA本人またはその指示を受けたA経営の旬刊「和歌山特だね新聞」の記者が,和歌山市役所土木部の某課長に向かって,「出すものを出せば目をつむってやるんだが,チビリくさるのでやったるんや」と聞こえよがしの捨てせりふを吐いたうえ,今度は上層の某主幹に向かって,「しかし魚心あれば水心ということもある,どうだ,お前にも汚職の疑いがあるが,一つ席を変えて一杯やりながらはなしをつけるか」と凄んだ旨の記事を掲載頒布した。
<判旨> 破棄差し戻し。「刑法230条の2の規定は,人格権としての個人の名誉の保護と,憲法21条による正当な言論の保障との調和をはかったものというべきであり,これらの両者間の調和と均衡を考慮するならば,たとい刑法230条の2第1項にいう事実が真実であることの証明がない場合でも,行為者がその事実を真実であると誤信し,その誤信したことについて,確実な資料,根拠に照らし相当の理由があるときは,犯罪の故意がなく,名誉毀損の罪は成立しないものと解するのが相当である。これと異なり,右のような誤信があったとしても,およそ事実が真実であることの証明がない以上,名誉毀損の罪責を免れることがないとした」当裁判所の判例(最判昭34・5・7刑集13・5・641)は,これを変更する。
【事例3】 東京地判昭58・6・10判例時報1084・38
<判旨>「あれこれ勘案してみると,一般的には,本件各記事の,特に表現方法にはたやすく公益目的を肯定し難い点が一部見受けられないではなく,また本件記事中でそのような表現方法がどうしても必要であったとは考えられないが」,本件の諸事情の下では,「全体として,本件各記事執筆の少なくとも主たる動機」は,A会の宗教的,政治的,経済的諸側面を批判し,その誤りを指摘しようとする点にあり,「右は結局公益目的の枠内にあるものと理解されるので,刑法230条の2第1項との関係では『専ら』公益目的で執筆されたものと評価するのが相当である」。しかし,真実の証明がないので,被告人を罰金20万円に処する。
(2) 真実性の誤信
事実が真実であると証明されなくても,行為者が真実性について相当な根拠をもっていた場合をどう取り扱うか,という問題が残っている。【事例2】は,明示的に判例変更して,真実性について「相当な理由」をもって誤信していた場合は,犯罪の故意がないとした。学説は,犯罪が成立しないとする結論では一致しているが,その理論構成において,①錯誤論のアプローチ,②違法論のアプローチ,③過失のアプローチなどに分かれ,複雑な理論状況を示している。真実性の判断の必要性に関する上述の理解からすると,相当な根拠に基づいた事実摘示であれば,違法性阻却事由(知る権利の優越性)の錯誤として責任を阻却することになろう。