2018 第4回目

刑法ⅡA 補助プリント(No. 4)強制わいせつ罪・強制性交等罪

1 法益としての性
 法益論的には,わいせつ及び強姦の罪は,社会的法益に対する罪として公然わいせつ罪・わいせつ物頒布等罪があり,個人的法益に対する罪として強制わいせつ罪・強姦罪がある。性的自由は,「いつ」「誰と」「どこで」「どのように」性行為をするかを決める自由だが,刑法上の法益は,積極的な性的行動の側面ではなく,他者の性的接近・接触を拒否する側面における自由である。その要保護性は性的な攻撃からの性の保護,つまり個人の性的営みの基礎となる性的能力の保障として理解しなければならない。具体的な人間関係において,性を享受するあり方が保障されねばならないことを「性的権利」という言葉であらわすとすれば,強制わいせつ罪と強姦罪は,このような性的権利を法益とするものである。
 風俗犯だと理解されている「公然わいせつ罪(174条)」や「わいせつ物領布等罪(175条)」では,さらに根本的な見直しが必要である。判例・通説は,わいせつとは「徒に性欲を興奮又は刺戟せしめ,且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し,善良な性的道義観念に反するものをいう」(最判昭26・5・10刑集5巻6号1026頁)とし,この「わいせつ」が健全な性風俗あるいは個人の性的感情を害すると捉えて,まったく観念的に犯罪の成立を認めてきた。現在では簡単に入手できる『チャタレー夫人の恋人』の完訳を読めば,このことがよくわかる。しかし,「わいせつ」をめぐる社会通念の変化とともに,性の要保護性が低下してきたとは考えられない。それどころか,現代社会では,性の商品化が著しく,とりわけ子供や女性の性的能力を社会的に保護する必要性はますます増大している。社会的法益に対するわいせつ罪は,性を保護するために歴史的に形成された「性的文化環境」を法益とするものとして,再構成すべきである。
2 強制わいせつ罪と強制性交等罪
(1)「わいせつ」な行為
 暴行・脅迫により相手の身体に対してわいせつな行為をして,その性的権利を直接的に侵害するのが強制わいせつ罪と強制性交等罪である。わいせつな行為とは,たとえば,裸にする,身体の性的部位に接触する,口づけをする,性器・肛門に異物を挿入するなどである。7歳の女児の胸部・臀部は男児のそれと異ならず,これを触ることはわいせつでないとして,無罪を主張したケースがあるが,当然のことながら認められなかった(新潟地判昭63・8・26判時1299号153頁)。同様に,報復・侮辱・虐待の目的で裸にして写真撮影することはわいせつな行為にあたらないとした判例【テキスト17頁】があるが,不当であり,性的権利を侵害する行為は本条の「わいせつな行為」に該当する。
(2)暴行・脅迫の意義
 わいせつな行為が暴行そのものである場合がある(たとえば性器・肛門への異物等の挿入行為)。しかし,強姦罪では,暴行・脅迫は「相手方の抗拒を著しく困難ならしめる程度のもの」であることを要するとされ(最判昭24・5・10刑集3・6・711),強制わいせつ罪では,暴行は力の大小強弱を問わないとされている(大判大13・10・22刑集3・749)。
 まず,旧強姦罪において暴行が最狭義で解釈されているのは,実行行為が「姦淫行為(男性器を女性器に挿入すること)」に限定されており,それ自体が,相手の抵抗の抑圧を前提とし,程度の高い暴行を要すると考えられていたからである。しかし,性交について同意がない場合でも,性行為との連続で性交行為がなされるような場合は,必ずしも強い暴行を伴わずに,性的権利が侵害される。【事例1】は,性的権利は侵害されたが,最狭義の暴行を伴わなかったために,強姦が否定された事案である。なお妻に対する夫の強制性交は犯罪たりうる。
 次に,強制わいせつ罪において暴行の程度が問われていないのは,相手の油断に乗じて,わいせつな行為がなされうるからである。しかし,身体の性的部位を触ることはわいせつな行為ではありえても,これを直ちに暴行と解することには,無理がある。したがって,通説は,強制わいせつ罪の暴行も旧強姦罪と同様に最狭義において解して,電車内の痴漢行為のような場合,事実上抗拒が著しく困難であるから,暴行の要件を満たすとする。しかし,この論理で言えば,177条ではなく、178条の「抗拒不能に乗じ」て,わいせつな行為がなされたかを検討すべきであろう(準強制わいせつ罪)。
 旧強姦罪における暴行・脅迫の意義について,判例の見解が支持されているもう1つの理由は,被害者の同意の有無を判断することが困難だと考えられていることである。しかし,【事例1】でもそうであるが,旧強姦罪の大きな問題点の1つは,性的権利が侵害されたときでも,暴行・脅迫の最狭義の要件を満たさないと判断されうることである。たしかに,被害者の同意の有無を争いうる事案はあるが,性的権利を侵害する罪における暴行は,人に向けられたものであれば足りるので,広義の暴行と解し,また脅迫は,脅迫罪と同義に解すことができる。その点,【事例1】には,問題がある。
【事例1】 広島高判昭53・11・20判時922・111
<事実> 被告人は,嘘をついてAを呼びだし,軽トラックに乗せて人家のない海岸沿いの広場に連れ出した後,運転席に倒し,Aが泣き出してやめてくれと言ったのに,姦淫した。
<判旨> 強姦の点については無罪。「被告人の姦淫行為は,被害者の任意の応諾に基いてなされた和姦であるとは到底いえず,被害者が・・・・・・ある程度拒み難い状態下においてなされたものであることは疑いないといえる。・・・・・・しかし,・・・・・・座っている女性を仰向けに寝かせ,性交を終えるについては,・・・・・・ある程度の有形力の行使は,合意による性交の場合でも伴うものであると思料されるところ,・・・・・・被告人が右通常の性交の場合において用いられる程度の有形力の行使以上の力を用いたと断ずるまでの証拠は見出し難く,・・・・・・本件姦淫が,被害者の抗拒を著しく困難ならしめたうえでなされたと認めるには足りないものがある・・・・・・」。
(3)準強制わいせつ罪(178条)
 心神喪失とは,睡眠や泥酔の状態,あるいは精神病や精神薄弱などにより正常な判断力を失っている状態だとされる。被害者が「強度の精神薄弱(痴愚)の状態にあった」として準強姦罪の成立を認めた事案がある(福岡高判昭41・8・31高刑集19巻5号575頁)。なお、暴行脅迫を行って相手方を心神喪失または抗拒不能にした場合には、強制わいせつまたは強姦の問題となる。
 抗拒不能とは,心神喪失以外の理由で,心理的または物理的に抗拒が不可能ないし著しく困難な状態だとされる。前2条の暴行・脅迫が用いられた場合と実質的に同視できる状態であると考えられる。しかし,重要なことは,当該具体的状況下で,抗拒不能であったかどうかを慎重に事実認定することである【事例2】。霊感治療のためと称して婦女を姦淫したケースで,本罪の成立を否定したケースがある(東京地判昭和58・3・1刑月15・3・255)。反対に,にせ医師を権威ある医師と思い,治療のために性交が必要であるという言葉を信じた場合に本罪の成立をケースで,本罪の成立を認めている(名古屋地判昭和55・7・28刑月12・7・709)。
【事例2】 東京高判昭56・1・27刑月13・1=2・50
<事実> プロダクションの事実上の経営者である被告人は,モデル志願者に対し,「モデルになるための度胸だめしだ」などと言い,裸にさせて写真撮影をするなどのわいせつな行為をした。
<判旨> 「・・・・・・被告人と被害者らとの地位関係,被害者らの若い年齢や社会経験の程度,被告人の言うことを信じそれに応えなければモデルとして売り出してもらえないと考えた被害者らの誤信状況などを総合すれば,社会一般の常識に照らし,被告人の全裸になって写真撮影されることもモデルになるため必要である旨の発言等は被害者らをそのように誤信させ,少なくとも心理的に反抗を著しく困難な状態・・・・・・に陥らせるに十分で」あった。
(4)監護者わいせつ及び監護者性交等(179条)
 被害者(18歳未満)が精神的に未熟で,かつ精神的・経済的に監護者に依存している状況において,監護者が(暴行・脅迫を用いるのではなく)そのような関係性を利用してわいせつ行為・性交等をした場合,(それが「抗拒不能」とまでいえなくとも)類型的に被害者の自由な意思決定にもとづくものとはいえないだろう。このような場合,強制わいせつ罪(176条)・強制性交等罪(177条)と同等の違法性があ,これらと同様に処罰されることになった。なお,「現に監護する者」とは,法律上の監護権にもとづく者(民法820条参照)に限られず,事実上,現に監督・保護する者であれば,これにあたりうる。 ただし,親子関係と同視しうる程度に,(居住場所・生活費用・人格形成など)生活全般にわたって依存・保護の関係が形成されていることが必要だろう。