2018 第1回目

 

刑法ⅡA 補助プリント(No. 1) 生命に対する罪

生命に対する罪として,殺人罪・堕胎罪・遺棄罪がある。

1 殺人罪
 刑法199条 人を殺したるものは,死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処す。
 殺人罪の解釈については特に困難な問題はない。保護法益は他人の「生命」である。したがって、自殺は犯罪ではないが,自殺に関与することは犯罪になる(202条・自殺関与,同意殺人)。ここでは「人」の始期と終期についてふれておく。始期については,いくつかの学説があるが,判例は1部露出説を採る(大判大8・12・13刑録25輯1367頁)。胎児に対して,母体を通さず,直接的に侵害しうる状態に着目することは正しい(反対,平野『概説』156頁)。人の終期については,3徴候説で安定していたが,現在では,脳死説も有力である。また,臓器移植法1では,脳死が認められる特別なケースを規定しており,人の終期の基準は相対化している。
 
2 堕胎罪
刑法212条 妊娠中の女子が薬物を用い,又はその他の方法により,堕胎したときは1年以下の懲役に処する。
213条 女子の嘱託を受け,又はその承諾を得て堕胎させた者は,2年以下の懲役に処する。よって女子を死傷させた者は,3月以上5年以下の懲役に処する。
214条 医師,助産婦,薬剤師又は医薬品販売業者が女子の嘱託を受け,又はその承諾を得て堕胎させたときは,3月以上5年以下の懲役に処する。よって女子を死傷させたときは,6月以上7年以下の懲役に処する。
215条① 女子の嘱託を受けないで,又はその承諾を得ないで堕胎させた者は,6月以上7年以下の懲役に処する。
215条② 前項の罪の未遂は,罰する。
216条 前項の罪を犯し,よって女子を死傷させた者は,傷害の罪と比較して、重い刑により処断する。
 堕胎とは,自然の分娩期に先立ち人工的に胎児を母体から排出・分離させることである。刑法は,堕胎罪の規定により,胎児の生命・身体の安全を保護し,あわせて母体の生命・身体も保護する。なお,胎児の生命・身体への侵害結果の発生は要求されていないので,本罪は危険犯である。
 胎児は,受精卵が子宮に着床した時期から,分娩時に一部露出するまでの生命体である。したがって受精卵や胚は胎児ではない。母体外で生命が維持できる程度に成長していても,一部露出するまでは胎児であり,堕胎罪として保護される。なお,現行法における胎児保護の限界事例として,水俣病事件やサリドマイド事件における「胎児性傷害」がある【テキスト2頁】。これは,現行法の解釈のレヴェルを超えており,立法的な解決が必要である。
 胎児は,一部露出後は人であるから,たとえば,医師が堕胎した後,出生した嬰児の保育に必要な医療措置を施さず医院の休養室にバスタオルに包んで放置し死亡させた場合,業務上堕胎罪とともに保護責任者遺棄致死罪が成立する【テキスト6頁】。この事件では,54時間という極度に短い「生」であったが,体重も1000グラムあり,生育する可能性が充分にあった。反対に,胎児が「母体外において生命を保続することのできない時期」に母体から分離した場合は,胎児を排出し殺害しても,それは堕胎であり,殺人ではない。

 3 遺棄罪
刑法217条 老年,幼年,身体障害又は疾病のために扶助を必要とする者を遺棄したものは、1年以下の懲役に処する。
218条 老年者,幼年者,身体障害者又は病者を保護する責任のある者がこれらの者を遺棄し,又はその生存に必要な保護をしなかったときは,3月以上5年以下の懲役に処する。

(1) 遺棄罪の罪質
 遺棄は,限定的に列挙された「扶助を要する者」を危険な場所に移し(移置),あるいは,老年者・幼年者・身体障害者・病者に対する保護責任者がその生存に必要な保護を与えないことにより(不保護),彼らの生命および身体に危険を生じさせる危険犯である(通説)。有力説は保護法益を「生命」に限定しようとする(平野『概説』163頁)。身体の安全を含めれば,遺棄罪の処罰範囲が広がりすぎるという指摘もある(山口『問題』19頁)。しかし,他方,法定刑の低さなどを考えれば,生命に限定することも不自然であろう。また,「扶助を必要とする者」にとって,身体の安全と生命の安全はかなり接近していることに注目すれば,保護法益を生命だけに限定することは妥当でない2。
 (2) 遺棄罪の類型と遺棄行為
 遺棄罪には,単純遺棄罪(217条)と保護責任者遺棄罪(218条)がある。遺棄と不保護は区別されている。遺棄は,217条218条ともに,場所的な移転による危険の惹起が必要であり,不保護は不作為犯であり,作為義務が必要である【事例1】【事例2】。遺棄と不保護の解釈には,多くの考え方があるが,いずれも不作為犯論の混乱を反映しているだけである。
【事例1】最判昭34・7・24刑集13・8・1163
<判旨>「……車馬等の交通に因り人の殺傷があった場合には,当該車馬等の操縦者は,直ちに被害者の救護その他必要な措置を講ずる義務があり,これらの措置を終り且つ警察官の指示を受けてからでなければ車馬等の操縦を継続し又は現場を立去ることを許されないのであるから(道路交通取締法24条,同法施行令67条),本件の如く自動車の操縦中過失に因り通行人に自動車を接触させて同人を路上に顛倒せしめ,約3箇月の入院加療を要する顔面打撲擦傷及び左下腿開放性骨折の重傷を負わせ歩行不能に至らしめたときは,かかる自動車操縦者は法令により「病者ヲ保護ス可キ責任アル者」に該当するものというべく,……。そして刑法218条にいう遺棄には単なる置去りをも包含すと解すべく,本件の如く,自動車の操縦者が過失に因り通行人に前示のような歩行不能の重傷を負わしめながら道路交通取締法,同法施行令に定むる救護その他必要な措置を講ずることなく,被害者を自動車に乗せて事故現場を離れ,折柄降雪中の薄暗い車道上まで運び,医者を呼んで来てやる旨申欺いて被害者を自動車から下ろし,同人を同所に放置したまま自動車の操縦を継続して同所を立去ったときは,正に「病者ヲ遺棄シタルトキ」に該当するものというべく,原判決には所論の如く法令の解釈を誤った違法はない。」
【事例2】東京高判昭和45・5・11高刑集23・2・386
<事実> 被告人はN女をドライブの相手にしようと考え,「バスの中でいつも会っているではないか」などと嘘まで言って,いかにも親切に送ってやるような態度を示して同女を自動車に同乗させたが,被告人が無理に同女をドライブに連れていこうとしたことに気づき,同女が自動車から飛び降りて重傷を負った。
<判旨>「……刑法第218条第1項の保護責任の根拠は,法令,契約,慣習,条理などのいずれであるかを問わないのであって,所論のように条理を除外すべき理由はない。したがって,本件のように,自動車運転者が歩行者を誘って助手席に同乗せしめて走行中,しきりに下車を求められたにもかかわらず走行を継続したため,同乗者が路上に飛び降り重傷を負った場合に,その救護を要する事態を確認した運転者としては,いわゆる自己の先行行為に基き,刑法第218条第1項の保護責任を有するものというべく,このことは右運転者が道路交通法第72条第1項前段の救護義務を有すると否とを問わないと解すべきである。……」

1 臓器の移植に関する法律6条① 医師は,……移殖術に使用されるための臓器を,死体(脳死した者の身体を含む。以下同じ。)から摘出することができる。
2 「生存に必要な保護」という文言は,不作為のところで使われていることに注意。これを手懸りに,遺棄罪の法益を生命に限定することは無理だろう。