妻が語るロイ・ホワイト

インタビュアー : R・ホワィティング 
   Number 53(1982年/昭和57年)より




         

NYヤンキースにコーチとして復帰/1983年


ホワイト選手の一般的なイメージは"非常に真面目" リンダ夫人が16年前に初めて彼と出会った時の印象も

「すごくシャイで物静か。正直いうとその時はあんまり好きでもなかったのよ。だって彼はなかなか打ちとけようとしないんですもの」(その後、ホワイト選手の猛烈な電話攻勢によって、恋は実ったというのだがー)。スランプの時など家庭ではどんな様子なんだろうか?

「彼は家庭に仕事を持ち込まないタイプだし、気難しい人間でもないわ。不調な時にもふだんよりほんのちょっと静かになるぐらい。彼が悩んだりするのは、いいバッティングをしても相手にナイスキャッチされたり、ついてなかったりした時だけね。打撃フォームやスィングが悪くて調子が良くない時は、それは自分が悪いんで、もっと練習が必要なんだとわかっている人だから、そんな時は一所懸命素振りをしているわ。彼はすごく冷静な人間だし、調子が最悪の時でも、私たちはふだんと変わりなく話もしているわ。落ち込んで陰にこもる人じゃないの。ただ、一歩外に出るとすごく控えめでシャイになるから、本当の彼を知るのは難しいわね。
家にいる時はすごくリラックスしているのよ。おどけたり、家の中を歌をうたいながら踊ったり、もう本当に馬鹿な事ばっかりしてるんだから。でもそれは私たち家族といる時だけ。かれの親しい友人でさえ彼のそんな姿は想像できないでしょうね。もしあんなところを見たらきっとビックリするわ。
ロイはナディア・コマネチとイメージが似ているわ。でもコマネチだって、きっと家族といる時は同じよ。わかるでしょ?ついでに教えちゃおうかしら。ロイは高見山の物マネがすごくうまいの。以前シピンさんに高見山のマネして電話をかけたら、シピンさんは本当に高見山からの電話だと信じちゃったのよ!
ある意味ではリンダ夫人こそ真のがいじん助っ人の「助っ人」の名に値する。というのも79年のシーズンの終りに巨人のフロントが入団交渉の電話をかけ始めた頃、ホワイト選手はプエルトリコのウインターリーグでプレーしていた。交渉はリンダ夫人がすべてやったのだ。そしてまず初めにリンダ夫人が来日を決心し、ホワイト選手にも来日を説得したのだ。
来日が決まるとたくさんの本を買い込んで読み、家庭教師も雇って一家揃って日本語を勉強したという。
日常生活での戸惑いはあまり感じなかったというが、それでもビックリした経験もあったらしい。
「来日一年目の事。二人で有楽町にあった日劇の地下の古い映画館に行ったの。CMや予告編をやっていたんだけど、日本語でアナウンスがあったのよ。もちろん私たちにはなんだかわからないわ。そうしたら観客がだんだんと立ち上がって出ていくじゃない。気がついた時には残っていたのは私達だけ。ロイが「火事かも知れないな」って言うから外に出てみたの。そうしたら消防車が一杯。本当にビックリしたわ。

もう一つは来日2日目か3日目の事件。娘がお風呂に入ったんだけど、排水管が詰まってしまったの。
水があふれ出して、とうとう寝室まで水浸し。ビル管理人に電話で一所懸命説明したんだけど、その人が英語がダメ。私が日本語がダメ、まさにお互いにとって"絶望的な会話"よね。辞書で"ウォーター"をひいて、とにかく「ミズ、ミズ!」って叫び続けたわ。彼は「ハイ、ハイ」っていうけどわっかってないのよ。結局一時間たっても来てくれなかったわ。まぁ、滑稽といえば滑稽だけど。階下の人も天井から水漏れして大ムクレ。娘は自分のせいだってしょげちゃうしーー。とにかく最悪の出来事だったわ」

ホワイト夫妻には二人の子供がいる。"水漏れ事件"ですっかりショックを受けた長女のロリーナちゃん(14)と長男のリードくん(9)。リードくんは大の野球ファンだ。「特に河埜選手が好きみたいね。たぶんすごく親切にしてくれたからだと思うわ。お互い言葉はダメなはずだけど、何かと意思は通じてるみたいよ。それと、王さんに対しては絶対の尊敬の念を持ってるわ。王さんを知ってることはリードにとって大変な名誉なの。ニュージャージーに帰ると、友だちに「僕は王さんと食事をしたこともあるんだぞ」って自慢してるわ。それはリードにとって"ステータスシンボル"なのよ。
リンダ夫人は日本の古道具を集めるのが趣味。そしていつの日かニュージャージーの家に完全な日本間をつくってみたいそうだ。