近年、地球環境に関する話題が、様々なメディアによってしばしば取り上げられるようになってきた。このような傾向は、昨年の地球温暖化防止に関す
る京都会議前後から、とくに顕著になってきたように思われる。
マスコミを含めて環境に関する関心が高まってきたのは、それ自体好ましいことに違いはないが、“地球環境”という概念に対する認識が、現在の地球環境と
いう部分に集中し過ぎているのではないかと思われる。
地球上の環境は、47億年の地球の歴史の中で大きく変遷してきたものであり、さらにこれからも変遷し続けていく、地球の歴史の中における現在という断面
であるという認識が、少し不足しているように思えてならない。
47億年の地球の歴史の中で、人類の時代と言われる第四紀は200万年足らずの比較的短い期間である
。にもかかわらず、この第四紀のほとんどは、氷期(氷河期)と呼ばれる低温期と間氷期と呼ばれる温暖期が繰り返して訪れた期間にあたり、現在(約1万年前
以降)は最終氷期の後に訪れた温暖期(後氷期)に該当している。
このような第四紀における環境の変化と、今後の変化に関する予測を分かり易くまとめた書籍として、
「百年・千年・万年後の日本の自然と人類 − 第四紀研究にもとづく将来予測」(日本第
四紀学会編,1987年8月,古今書院発行)がある。
この本の目次と著者は次のとおりである。
1.将来予測と第四紀研究 (貝塚爽平)
2.第四紀の気候変動からみた将来の気候変動 (鎮西清高)
3.第四紀の海面変化とその将来予測 (米倉伸之)
4.気候変化と将来予測 (吉野正敏)
−最終氷期の気候変化と百年・千年・万年後の気候予測の諸問題
5.百年・千年・万年後の未来予測 (松田時彦)
−地震と地殻変動
6.火山の爆発的活動史と将来予測 (町田 洋)
7.海岸線の変遷 (小池一之)
8.最終間氷期以降の植生史と変化様式 (辻誠一郎)
−将来予測に向けて
9.日本の土壌の過去・現在・未来 (松井 健)
10.人類−この予測不可能なるもの (香原志勢)
この書籍は、1985年6月22日に、日本学術会議講堂で行われたシンポジウムの内容に基づいて編集されたもので、第四紀から現在までの地球の歴
史を知ることによって未来を予測する、という姿勢(過去は未来の鍵)が貫かれている。
近年大きな問題として取り上げられている地球温暖化に伴う海面の上昇という問題に関しては、第3章に書かれている、次のような最終氷期から後氷期の海面
変化に関する記述と、未来の予測が参考になるものと思われる。
最終氷期の大陸氷床は約2万〜1万8000年前に最も拡大し、その後の気候の温暖化とともに急速に融解しはじめ、約6000年前には北米・北欧の
大陸氷床はほぼ完全に消失した。世界の海面は最終氷期の極相期には最も低下し(-80〜-130m)、大陸氷床の融解とともに上昇しはじめた(後氷期海
進)。
もし-130m付近まで海面が低下すれば、対馬海峡の大半は陸化し日本列島は朝鮮半島・中国大陸とほぼ陸つづきであった可能性が大きい。
一方、縄文時代前期には海面上昇のため内湾の奥深く海が進入して「縄文海進」と呼ばれている。東京湾の奥深くまで進入した海は中川沿いに「奥東京湾」を
形成した。縄文海進の海は約6000年前には現在の海面高度に達し、奥東京湾や濃尾平野では海抜3m付近まで海面が高くなった。この時代を後氷期海進(縄
文海進)の高頂期(最高海面期)と呼ぶ。したがって、約1万年前から6000年前までの4000年間の海面上昇量は約40mにも達し、平均的な海面上昇速
度は1年間に1cmという速さであった。
最近1万年間(完新世)の前半が急速な海面上昇期であったのに対し、後半は相対的な海面安定期といえる。安定した海面に応じて河川が運搬した土砂は内湾
を埋めたて、河口の位置は前進をしてきた。最近の6000年間は海面の安定期ではあるが、詳しくみると数mの上下振動を繰り返してきた。
第四紀の地史からみて、現在の地球が間氷期の一つである後氷期にあること、後氷期に入ってから1万年をすでに経過していること、後氷期の最温暖期は約
5000〜7000年前であったこと、最終間氷期氷期極相期の長さは1万〜1万5000年であったことなどを考慮して、最終間氷期と後氷期の海面変化の実
態から自然変動を外挿して将来を予測すれば、以下のようになるであろう。
100年後の海面
ほぼ現在と同じか、最大1mほど上昇していることになろう。
1000年後の海面
後氷期の最温暖期をすでに5000年あまりすぎており、過去に数回の冷涼期を経験しているので、1000年後にはそうした冷涼期となり、海面変化も同期
して小海退がおこる可能性はある。逆に同じくらいの温暖化が生じ、小海進がおこるかもしれない。いずれにしてもその際の海面変化の幅は小さく、±2〜3m
であろう。
1万年後の海面
後氷期はすでに1万年を経過しているので、いまから1万年後には気候は寒冷化して、少なくとも20〜30mの海面低下がおこるであろう。しかし、それが
亜氷期にあたり海面低下が50m以上にも達するかどうかはよくわからない。
以上の予測は「自然変動は歴史を繰り返す」という前提のもとに推論したものである。しかし、過去は必ずしも将来の鍵にならないような、突発的な変化がこ
れから生ずる可能性についても検討しておくことが必要であろう。人類の諸活動による気候の温暖化は過去数百年から数千年間の自然の気候変化の幅をとびこ
え、いわば「超間氷期」的な気候にさえなるかもしれないといわれている。もしそうした急激な温暖化が生じた場合には、南極氷床、とくに西南極の氷床が解体
する場合も生じうる。その場合には数百年以内に海面が5mくらい急上昇するという計算もされている。
この本には、以上に述べた海面変化の過去と未来の他にも、詳細な気候変化、自然界や人為による海岸線の変遷、地震や地殻変動による変化、植生の変 化などが分かり易く解説されており、環境問題に関心を持つ人にはぜひとも目を通してほしい書籍である。
人類が道具の作成・使用を始めてから今日まで、その生産力に応じて次第に人口が増加してきたが、ここ200年ほどの間に爆発的な人口増加が始まっ
た。それは、科学技術の飛躍的な発展による生産性の向上に伴うものであるが、それとともに自然環境の改変も著しく増大し、意識するしないに関わらず、地球
上に生きてきた多くの生き物を絶滅に追い込んでいる。
しかし、人類も地球上の生命体であるかぎり、地球上の生態系から切り離されて生きていくことはできない。したがって、今までのように自然を圧迫し続ける
やり方を続けていくことは、人類自身の滅亡に至ることが認識され、自然環境を保全することが人類生存のための必須条件であると考えられるようになってき
た。
現在の地球上の環境には、長い人類の歴史の中で人手の入っていない手つかずの自然はほとんど残されておらず、ことに日本に限ってみれば全く残っていない
と言って過言ではない。人口の密集地である平野部や台地部はもちろん、農耕地や山林、河川や湖、海岸にいたるまで、すべてが人為的な改変・管理を続けて現
在の環境が形成されてきた歴史を有している。“環境保全”という時、我々は現在の環境を保全するのか、あるいは望ましい環境とはどのようなものなのか、社
会的な合意が必要とされる時代に至ったようである。
生活水準の向上や災害の防止を目的として、過去数十年以上にわたり、鉄道・道路・発電所・ダム・堤防などの整備を行い、確かに便利で快適な生活を享受で
きるようにはなったものの、自然の行為に人手を加えた時点から、人類は常に自然を管理・制御し続けなければならなくなった。たとえば洪水防止を目的として
ダムや堤防を作り、水の流れをコントロールすることを始めた時、同時に河川が運搬していた土砂の流下を阻害することとなり、上流には河川への堆砂が、下流
では堤防や橋梁基礎の洗掘や海岸浸食も進むようなったために、それまでは水の持つエネルギーによって自然に行われていた土砂の運搬を、人が別のエネルギー
を使用して行わなければならなくなったように(堆砂の除去・洗掘防止工事・護岸・埋め立て等)、あるいは地下水の過剰揚水が引き起こした地盤沈下対策に追
われるように。
120年余りも前に、エンゲルスはこう指摘している「われわれは、われわれ人間が自然にたいしてかちえた勝利にあまり得意になりすぎることはやめよう。
そうした勝利のたびごとに、自然はわれわれに復讐する。なるほどどの勝利もはじめにはわれわれの予期したとおりの結果をもたらしはする。しかし、二次的、
三次的には、それはまったく違った、予想もしなかった作用を生じ、それらは往々にして最初の結果そのものをも帳消しにしてしまうことさえある。」(エンゲ
ルス,1876,『猿が人間化するにあたっての労働の役割』)。
われわれ人類の自然環境に対する理解・認識はまだまだ極めて不十分である。自然の法則に逆らわないような、自然と調和した人類社会を構築するためには、
地球の歴史的産物である現在の自然環境をより深く理解するように努めるとともに、自然に対する人間の行為がどのような影響を及ぼすのか、より慎重な検討を
加えなければならないと思われる。
近代から現代の社会は、地球上の資源とともに地下資源を大量に消費して発展してきた。その結果として、資源の減少→枯渇が問題になる一方、大量の
廃棄物(産業廃棄物や一般廃棄物)が生み出され、その処分に頭を痛める事態となっている。
廃棄物は消費の最終過程のみならず、資源の採取、加工、消費するまでのすべての過程において、多種多様なものが発生する。
ある分野においては廃棄物とされるものが、違った分野では資源となることは珍しいことではない。むしろ、近代社会の成立以前においては、これはほとんど
当然のことであったに違いない。それは、人類以外の生物が、いわゆる“生態系”として相互作用の中で作り上げてきた環境の中で、互いに依存し合う関係に
あったことと類似している。
動物の生存に不可欠の酸素ですら、当初は植物の光合成に伴う廃棄物として、炭酸ガスから分離されたものなのである。
しかしながら、近代の工業化された人類社会においては、大量の資源を採取し、大量のエネルギーを使用して多種多様な製品を作り出すと同時に、また多種多
様な廃棄物を大量に排出することになった。
先に述べたように、ある分野の廃棄物が他の分野の資源として利用される場合も多いが、いずれにしても、それらが最終的に消費された後には、生産された製
品と等量の廃棄物が発生することになる。
資源やエネルギー自体も有限であり、これらを消費し尽くすことも大きな問題であるが、生活環境の中に、それを破壊する廃棄物の山ができることは、生活環
境の悪化、ひいては我々とその子孫の生活を脅かすさらに大きな問題であると言えよう(ダイオキシン・環境ホルモン・放射性廃棄物等)。
資源や環境を大切にしようというかけ声のもとで、牛乳パックから手漉きのハガキ用紙を作ったり、再生紙を使うことが「リサイクル」と称してもてはやされ
ているようであるが、少し違うのではないかと感じているのは私だけであろうか。
つまり、本当の「リサイクル」とは、廃棄されていたものを再利用して他の原料にすることだけではないと思うのである。このようなやり方では、1回利用し
て捨てられていたものを、別の用途に役立てる意義はあっても、最終的にゴミとなって焼却、あるいは埋め立てられてしまうことに変わりはない。
アルミ缶の回収にしても、それが再び同じアルミ缶に再生されることはないとのことである。
本当のリサイクルとは、廃棄されたものから再び同じ製品を作ることにあると思うのであるが、現在の製品は再利用することを前提として製造されてはいない
ために、廃棄物を再利用して元の製品を作り出すことはできないものがほとんどである(金属類・プラスチック・セラミックス等の複合素材など)。
もっとリサイクルし易い製品を開発し、資源と環境を大切にしたいものである。
【地球の温暖化】
ここ数十年間のエネルギー消費増大に伴い、地球の温暖化が懸念されるようになった。
これは、化石燃料の使用による空気中の炭酸ガスの増加が、大気の温室効果を高めて気温の上昇を招いているということである。
地球上の平均気温が上昇すれば、両極地方の氷河の融解を招くのみでなく、温度上昇による海水の膨張も加わって平均海面が上昇する。海面が次第に上昇すれ
ば、短期的には高潮被害の増加などが予想されるが、いずれは世界の都市の大部分が位置する沖積平野のかなりの部分が、人の住めない浅い海になることを意味
している。
また、亜熱帯地方が熱帯の、温帯が亜熱帯の気候になる。
温暖化の影響はこれだけにはとどまらない。台風の大型化、集中豪雨の激化などを引き起こし、風水害を激化するとともに、一方では砂漠化の進展などによっ
て、人の住む場所が奪われ、食料の生産にも大きな障害となるであろう。
【化石燃料】
このような急激な地球の温暖化現象を回避するには、炭酸ガスの排出源である化石燃料の消費を抑制する必要がある。地球上の緑を保護することによって炭酸
ガスの吸収(固定)能力を高め、空気中の炭酸ガスの増加を抑制しようという議論もあるが、これでは本質的な解決には結びつかない。
なぜならば、森林を保護して炭酸ガスを吸収させても、その植物が枯れて腐敗し、土に戻る際には、吸収したものと等量の炭酸ガスが発生するからである。つ
まり、自然のままの状態で放置された森林は、空気中の炭酸ガスの増減には寄与しないのである。
それでは、なぜ植物の発生によって地球上の炭酸ガスが減少し、酸素が増加したのであろうか。それはまさしく、地中に炭素が固定されたからである。
地中に固定された炭素こそ、石炭(炭素)石油(炭化水素)などの化石燃料である。地球の長い歴史の中で、地層の中に埋もれた生物が分解、あるいは脱水さ
れて、固体あるいは液体としての化石燃料に姿を変えたのが化石燃料と言われるゆえんでもある。
これを近代〜現代の人類が地中から掘り出し、酸素と結合させることによって、その化学エネルギーを利用しているのが、炭酸ガス増加の原因なのである。
したがって、地球上がすべて緑に覆われていても、我々が化石燃料を利用し続ける限り、空気中の炭酸ガスの増加をくい止めることはできない。
もちろん、森林をなくすより炭酸ガスの増加を遅らせることはできようが、いずれにしても時間の問題である。最も確実に炭酸ガスの増加を止める方法として
は、化石燃料の使用を止めるか、あるいは使用した炭素と等量の炭素を人工的に固定することである。
石油と石炭は現代のエネルギー資源として最も大量に使用されている化石燃料であり、使用を直ちに中止することはできない。また、炭素を人工的に固定する
ことも現実的には困難であろう。
【代替エネルギー源】
化石燃料に代わるエネルギー源としては、核分裂・核融合・太陽熱・太陽光・風力・水力・潮力などが考えられる。
○ 核分裂エネルギー
核分裂による原子力エネルギーは、先進国を中心として広く原子力発電として利用されているものの、放射能を帯びた廃棄物が蓄積し、その有効な処理方法も
確立されていないのが現状で、“トイレの無い高級マンション”と言われるゆえんでもある。
とくに使用済み核燃料の再処理によって多量に発生する高レベル放射性廃棄物は、数万年以上の長期にわたって極めて有害な放射能を持ち続けるやっかいな廃
棄物で、その長期にわたって環境から完全に隔離する必要があるが、現在の科学でこれを保証することは不可能である。すなわち我々は、子孫の環境を著しく汚
染する可能性のある物質を生産し続けて、現在の生活水準を維持していると言えるだろう。
○ 核融合エネルギー
現在考え得る最も望ましいエネルギーは、小さな太陽とも言うべき核融合エネルギーであるが、連鎖反応を発生させ、それを維持するには閉鎖空間において超
高温のプラズマ状態を継続することが必要であるために、現時点ではそのエネルギーを制御するにはいたっていない。
○ 太陽熱・太陽光エネルギー
地球に放射される太陽エネルギーは、全体としては莫大なものであり、地球上のすべてのものに多大の影響を及ぼしているが、その密度の低さと夜のあること
が最大の問題点である。すなわち、そのエネルギーを利用するためには、極めて広い面積の施設が必要で、夜間のバックアップ電源も必要になる。
近年、太陽光発電が次第に脚光を浴びつつあり、一般家庭の屋根にも少しずつ太陽光発電パネルが設備されるようになって来つつあるが、まだまだ発電効率は
20%にも達しておらず、設備費がかさむこともあって、広く普及するまでにはいたっていない。
太陽光発電システムの設備費がかさむということは、それを生産するためにかなりのエネルギーを使用しているということであろう。それによって発電される
総電力量は、それを生産し、運用し、廃棄するために必要なエネルギーに比べて、十分に見合う以上の量があるのだろうか。
○ 水力・風力・潮力・波力エネルギー
水力・風力による発電は、世界各地で利用されており、とくに水力発電は、火力・原子力による発電が主流となる以前においては、発電の主力をになってき
た。風力発電はそれに比べて規模が小さいために、離島などの小規模需要を満たすための発電設備として利用されている程度である。
しかしながら、水力発電についてもダム適地が少なくなって、新たな発電所の設置はなかなか困難な状態にある。
我が国は海に囲まれた島国であるため、潮力・波力を利用した発電は今後大きく発展できる可能性を秘めていると思われるが、まだ研究開発途上の段階にあ
る。
このように考えてみると、地球の温暖化を防止して地球環境を保持していくには、エネルギーの面から見ても極めて大きな課題であると言わざるを得な い。
1995年1月17日の未明に発生した兵庫県南部地震による阪神淡路大震災から、すでに3年余りの年月が流れたが、当時のテレビの画面に映し出さ
れた、高速道路の高架やビルが横倒しになっている衝撃的な映像は、今も昨日のことのように鮮やかに記憶に残っている。
この震災直後より、構造物の耐震設計に関する話題が新聞などのメディアを賑わした。
すなわち、関東大震災より大きい地震にも対応できるという耐震設計基準に基づいた構造物に、大きな被害が生じたのはなぜか。施工に問題があったのではな
いか。などなどである。
そこで、これらの災害復旧工事に際しては、兵庫県南部地震で実際に観測された振動に対しても、決定的な被害を免れるような設計の構造物が建設されてお
り、またその他の地域の構造物に対しても、可能な補強対策が施されているようである。
しかしながら、ここで問題としたいのは、構造物の耐用年数と地震の再来周期である。
関西・阪神地方では、関東や東海地方と異なり、地震の少ない地域と一般には信じられてきた。これは大きな誤解で、歴史的にはたびたび大きな地震にみまわ
れており、被害も少なからず記録されている。ここ100〜200年間に大きな被害がなかったために、そのように思われていたのであろう。
このように、特定の地域に関する限り、破壊的地震というものはそう頻繁に発生するものではなく、数百年、あるいは千年以上もの長期に亘って比較的静穏な
時期が続くこともめずらしいことではない。
一方、人間が建造する構造物というものは、数百年、あるいはそれ以上の長期に亘って使用され続ける例は極めてまれなことである。とくに近年の建築物に関
しては、構造的には数十年〜百年の耐用年数を有するものであっても、経済・社会的な要因から、20〜30年程度で更新される例も少なくないのが現状であ
る。
このように比較的短命な構造物に対しても、既往最大級の震度に耐えうる構造が必要なのであろうか。耐震性を増すために必要な資源・エネルギー、それを解
体する時に必要なエネルギー(耐震性の高い構造物は解体する時に大きなエネルギーが必要で、廃棄物も多いと思われる)を考慮する時、このような比較的短命
(地震の再来周期に比べて)な構造物に対してまで、既往最大規模の地震に対する耐震構造を採用しなければならないという考えには疑問を持つものである。
耐用年数に応じた確率論的な基準を用いることはできないのであろうか。