【神々の国】神話の世界を生きた国

宇宙の起源 ヘリオポリス神学から、アメンヘテプ四世による一神教まで
紀元前1374年、アメンヘテプ四世はイクナテンと改名、アテン神の信仰に生きる。


  0・宇宙の起源ヘリオポリス神学


 ヌト、シュー、ゲブ
ヘリオポリスとは太陽と町を組み合わせた言葉で太陽神
崇拝の中心地であったことを示している。
原生の丘から現われた完全なものを表すアツームの神は、
空気:シュー、水:テフヌト、天空:ヌト、大地:ゲブ、
を生んだ。このゲブ神とヌト神のあいだに生まれたのが、
オシリス、イシス、ネフチュス、セトの兄弟姉妹である。

  @・エジプトの神々

  

エチオピア高原における降雨は、ナイルの長い流域で平均化されてしまい、エジプトでは毎年ほぼ同じ時期に増水がはじまり、増水は量的にも時期的にも極めて規則性が高く、砂漠の乾燥地帯にナイル川は恵みの水を豊かにもたらした。エジプトの国土はナイルが運んできた土によってつくられた。氾濫の及ぶ土地、及ばない土地の境界ははっきりとしており、増水が終わると黒土は緑に覆われる。ナイル川岸に立つと、最下段にナイルの青、その上に耕地の緑、砂漠の崖の赤褐色、最上段に大空の青、と四層の鮮やかな色彩のコントラストを目に出来る。

 
オシリス神
増水開始時期の規則性は、東天に輝く「シリウス星」という天体現象と一致することに注目した。春から夏にかけて、約70日間姿を消した全天中もっとも明るい恒星である「シリウス」は、再び日の出の直前に東天に出現する。それは増水の開始を告げるものであり、朝、シリウス星が輝いてから1年間が365日であり、増水季アケト、冬季ペレト、乾季シエムウの3季として認識されている。
古代エジプト人は自分たちの国を「ケメト(黒い土)」と呼び、砂漠を「デシュレト(赤い土)」とよんだ。それは肥沃と不毛の間にある、余りにもはっきりした永遠の対比であり、現実の世界でも宗教の世界でも人々の考え方に鮮やかな痕を残した。それは生と死と再生という普遍のサイクルを生み、エジプト人の暮らしや生活の中に、永遠に繰り返されるテーマを育てることとなった。
  
    ホルス神
エジプトを取り巻く世界は、昼の太陽と夜の月神との宇宙ドラマである。現世を支配する太陽神ラーは、天空を天の船に乗って東の空から西の空へ進むと伝えられ、死後の世界は、冥界に君臨する名高いオシリスの支配する国となる。古代のエジプト人が信じた死後の世界は、人間は死んでも魂は死なないとする不死の思想であり、そのために魂が第二の人生を生きると信じられていた。
エジプトの王とはただのこの世のものではなく、神の生まれ変わりだった。王が神聖を備えた存在であることは、王自身にも民衆にも当たり前に受け入れられていた。彼は全ての人から、ホルス神の化身、ラーあるいはアメンラーの息子とみなされた。王とは神々によってその位をおごそかに授けられた者であり、国中のすべての神殿における最も身分の高い祭司でもあった。
  
イシス神

エジプトの社会では彼岸の信仰として、カー:人間の肉体、生命エネルギーを発するもの、バー:人間の霊魂、肉体と外界を自由に活動する霊、アクー:霊的な存在、至福の死者だけがなれた霊、が語られた。死者の心臓と羽毛の比較計量によりマアトの正義を審判する犬の姿をしたアヌビス神の存在がある。古王国時代のピラミッドや、王家の谷の多くの墓も甦り神話を裏付けている。
オシリス神話によると、エジプト王として善政をしいたオシリスは、弟神セトに妬まれて殺害される。しかし妹で妻でもあるイシス女神の魔法の力により復活し、神々の法廷においてセトを断罪し、長子ホルスにエジプト王の地位を委ね、自分は永遠の生命を得て冥界の王となる。死んだ王はオシリスとなって冥界を支配、次の王がホルスとして即位することによって、神聖な王権が受継がれていく。

  A進化する神々の世界

フアラオと呼ばれたエジプトの王は神々の一人であり、時代もくだり中王国時代ともなれば、王の権威は神の権威を借りて時代により変化していったことが分かる。王個人に与えられた責任は、マアトを大地にいき渡らせその状態を保ちつづける事だった。これが王と神々との間に交わされた契約のもっとも大切な部分である。
神々はホルスに守られる王権を礎に王を立て、彼に「生命」と「安定」と「主権」を与える。そして、年に一度ナイル川を氾濫させるのも、太陽が決して輝きを失わないよう自然のありとあらゆる現象をとりしきる、のも神々である。
 
    ラー神
王は正しいことと邪なことをわきまえ、エジプトを治めることを誓い、神々のために神殿を立てその供え物棚を常に献げ物で満たす事を誓う。
エジプト人にとっては、王なしには国家が生き延びていけるとは考えも及ばなかった。
エジプトにおける宗教の発達は、政治的な発展と密接な関係があり、古王国時代の太陽神ラーや新王国時代テーベのアメン神など、王権と神官団との対立関係を生み、権力に翻弄される時代の神はマアト(正義)にのみ生きたのではない。王権の力や当時の社会のありように従って、国家を取り巻くこれら八百万の神々と同化し、合理化し、古いものに新しいものを加え、習合し古風な礼拝も後世の祭儀の中に組み入れてきたことがわかる。

    セト神
時代を経るに従い、社会秩序としてのマアトの概念は神の命令をひたすら遵守することから、第二中間期を迎えると、現実の社会秩序を肯定し倫理的規範へと変化していく。
この時代、エジプト・デルタ地帯に異民族支配による王朝が成立する。その支配者ヒクソスが持ち込んだ神、バール神はエジプトのセト神に仮託して帰依を強制するまでとなり、エジプト古来の神々と、その信仰を守ってきたデルタ地帯の社会秩序を危くする事態となる。
エジプトに住む数多の神と比して、バール神は唯一神(万の神の主神)を謳い、この時代から遠く、新王国時代のイクナテン王による一神教への基を作ったとも考えられる。アテン神・一神教への基礎は、異民族ヒクソスが教えたバール神に在ったとも考えられる。

ラーホルアクテイ神
第十八王朝の宗教思想の潮流は、天地を創造したのは太陽神であるとするヘリオポリスの太陽神ラー信仰の普及にあった。
神々はみずからの神名にラーの名を加えることによって、ラーと習合し太陽神としての属性を我が物として、みずから天地創造神であるとの主張を正当化してきた。太陽神信仰の中心地であるヘリオポリスのラー神官団の影響が明らかである。
当時、権力をほぼ掌握したアメン神官団は、国家神アメンもまたアメン・ラーと称して、太陽神の属性を獲得し天地創造神として、宗教的権威の絶頂を極めていた。

ヘリオポリス本家のラー神官団はこのような状況を快く思わず、王権に協力して、アテン信仰の教義の形成に関与したのは当然であろう。

ラー信仰の影響は、ラー・ホルアクテイ神が依然として隼頭として表現され、王はみずからを「ラー・ホルアクテイ大司祭」と称したことなどにみてとれる。


  B・アメンヘテプ四世の一神教

信仰が多様化するとともに新王国時代の教養あるエジプト人は、神のさまざまな顕現の中から抽象的な神性をいつか学んでいった、と考えられた。
王都アケトアテンに宮廷を構えたイクナテン王は王妃ネフェルトイテイと二人、アテン神崇拝で自由な礼拝に明け暮れることとなる。古代からあるエジプトの万の神々を禁止し、神はひとつ「アテン神」崇拝の宗教革命を謳う王の姿から、生命についての素晴らしい感受性や顕現がみてとれる。太陽神アテンに対する賛歌や自伝的な暗示も含めて、イクナテン王のみていた神は、天空の彼方に輝く日輪の出現を喜ぶものである。


   アテン神
アメンヘテプ四世は、若い王として父親三世と共同統治にいった期間、彼はアテン神信仰を抱き始める。カルナック神殿の東側にアテン神殿を建立し、そこでアテン神のために王自身が祭祀を執り行い、祭祀と葬祭を掌握したアメン神官団に対抗した。共同統治5年目、アメンヘテプ四世はテーベから 500キロ下流に新しくアテンの王都を建設した。王は太陽神アテンに由来するイクナテン(アテンに有用なもの)と名のることとなる。

  ハピ神
イクナテン王は生命・自然を統べる神を考えていた。東天に光る明るく大きなシリウスの星と、やがて、小波に沸き返るナイル川の規則的な氾濫の不思議をみていた。ナイルの神「ハピ」によってもたらされる緑の沃野、大地はマアトの恩恵に預り、繰り返し豊かな実りと民の喜びを約束してきた。大地は焼け付くような太陽に満たされて生命を再生してきた。イクナテン王はハピ神そっくりの腹を突き出した肢体で描かれ、日輪に供物を捧げた。アマルナ芸術と評されたリアリズムで、王とその家族は描かれた。
当時、民族大移動の波が起こりエジプトは西アジアを含むより広いオリエント世界へ引きずり出されていく。ヒクソスの神「バアル神:神々を統べる神」の存在は新しい神概念を育てる要因のひとつともなった。

イクナテン王像
アテン賛歌 あなたは、天空の地平線に美しくあらわれる。
      生けるアテン、あなたは生命をはじめたもの。
      あなたが、東方の地平線から昇るとき、

      あなたはあらゆる国土をその美をもって満たす。
      ・
      あなたは唯一にして、生けるアテン。
      出現し、輝き、退き、近づきつつ、
      幾百万の相をただ一人にてつくれり。
      あなたはいつも私の心の中に住む。
      そこには、あなたを知っているあなたの息子がいる。
      ・・・・私に、あなたは真実と力を教えたのだから。

この個人的声明の奥から湧き上がるような声を誰が押しとどめることが出来よう。王の得たこの真実は、エジプト民族の太古から伝わるあらゆる宗教伝統に、真正面から挑むこととなった力の源泉である。


  C・イクナテン王とアマルナ時代

後の世のエジプト人にとって最初の繁栄期である古王国時代こそは、創造神が天地創造時に定めた宇宙秩序(マアト)が現実に地上に実現された理想の時代と映った。国家、政治、経済、社会、文化のあらゆる分野において、古王国のあり方が理想とされお手本とされた。創生の古王国時代の強固な中央集権国家体制も第一中間期を経て中王国時代に、中央集権体制が再整備されていった。だが、国際政治の中で新王国時代を経て、アマルナ時代のアメンヘテプ四世は王族と僅かな官僚たちにアテン神を説く。

 イクナテン家族

アテン神信仰の教義は、当時の宗教思想の潮流ヘリオポリスの太陽神ラーから生まれ、神「ラー」が目に見える日輪の姿として現われたものである。天空から「アテン神」はエジプトのみか、帝国社会に輝き、誰にも公平な光をそそぎ、世界神としての不偏性をもっていた。

アテン神信仰の第二の特徴は、王だけが教義の真の理解者であるとしたこと。神性をもつ王だけが神に対する祭祀を執行する資格があり、神官としての祭祀の代理人を認めなかった、そのことにより、狭い範囲のアテン神理解に留まる結果となった。


ツタンカーメン夫妻
アテン神信仰はエジプト社会からは遊離した、宮廷の中だけでの信仰に過ぎなかった、という結果を残した。

また、アテン神は死後の世界をも司ることである。万の神々と同じくオシリス神も否定された。だが、国家神アテンがもたらしたのは内政の混乱と外政の破綻である。信仰の担い手であるイクナテン王が死ぬとアマルナ革命は一代で終わりを告げた。


  D・エジプトのその後

イクナテン王が死ぬと再びアメン神が国家神の地位に復した。幼い王はツタンカーメン(アメンの生きた似姿)と改名し、王妃の名もアンケスエンバアメン(彼女はアメンによって生きる)と改め、都をメンフイスへ移して、多神教の世界へかえることとなる。ツタンカーメン王は後継者のいないまま在位9年にして早逝する。

イクナテン=アクナテンと読み、アガサクリステイの書いた戯曲がある。小説と違い戯曲の形だから読み慣れない感じを持ったが「面白い」と一気に読んでしまった。イクナテンを中心としたエジプトの歴史を知るには、クリステイ文庫「アクナテン」をお薦めします。

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