筑後の発展に大きく貢献した石橋正二郎(ブリジストン創業者)に学ぶ

世の人の楽しみと幸福の為に 石橋正二郎


目次
1.ブリヂストン久留米工場
(タイヤ生産と工場拡大)
2.芸術
繁二郎との出会いが石橋美術館の母体となる
3.教育・福祉
日本を代表する学府に 今日の久留米大学の礎
4.地域貢献
人のため、世のため 故郷の幸せを願う
5.石橋文化センター(2006年4月,50周年)
正二郎は昭和31年に郷土久留米市に建設寄贈

生い立ち

〜常に理想を掲げ、それに向かって進む〜

人間の値打ちは、世の中に尽くすことが基本ー幼少のころから正二郎はそのことに気づいていた。
「人間は世の中のために働くこと。それが一番大切」という叔父からの教えは、正二郎の人間形成に大きな影響を与えた。
石橋正二郎。明治二十二年二月、久留米市本町一丁目に初代石橋徳次郎、マツの二男として生まれる。同二十八年に荘島小学校に入学、三歳年上の兄・重太郎(後に二代目徳次郎に改名)はスポーツマンで活発であったが、正二郎は内向的、病弱で学校も休みがちだったという。しかし成績はずば抜けて良かった。当時の小学校は四年制、終了と同時に篠山町の久留米高等小学校へ。さらに同校三年生から久留米商業学校へ。
このころ、商業学校は全国でも少なく、久留米商業には九州各地から二百人以上の受験生が押しかけた。
七十人ほどの合格者はほとんど年長者。正二郎は最年少で合格したのだ。”年長者の同級生”、正二郎はこの中で級長を続けていくほど、信頼もされていた。上級学校への進学に燃えるのも当然であったろう。が、父の反対で進学を断念し、明治三十九年、兄と共に父の経営する仕立屋「志まや」を継ぐ。
十七歳の時である。あきらめが落胆になり、どうかすると後ろ向きになりがちな年代に、「全国的に発展するような事業で世のためになること」と理想を掲げる正二郎。前を向くことで進む。という生き方はこの時に既に始まっている。

〜新しさへ挑戦を続け、働く人にはいつも優しく〜

父の仕立屋を継いですぐ、兄は陸軍へ、正二郎が一人で店を切り盛りすることになる。何種類もの製品を当時無給であった徒弟を使って作ることに疑問を感じ、足袋一本に絞る。そして徒弟たちに給料を払うことを決める。
こうした働く人への温かい眼差しは、ブリヂストンを創業しても変わらず、常に従業員のために、を第一にした姿勢を生涯貫いている。
正二郎は若干十八歳の青年の単なる思いつきではなく、商売は合理化することで発展する、という信念を持っていた。当然反対も受けるが、それでその信念が揺るぐことはなかった。店を大きくし、父を喜ばせてやりたい、その気持ちが強かったのだ。
工場を拡張、新しく従業員も採用し、足袋の工場生産を本格的に始めた。決して平坦な道ではなかったが、持ち前のアイデアと努力で事業を拡張していった。


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